自分のあやまち
自分はすごい信頼されていた妻を風俗に行って裏切ってしまいました。結婚生活も浅かったのと始めて相手の気持ちを考えられず自分勝手な行動をしてしまし信頼を失ってしまいました。自分は今は信じてもらいたい気持ち信頼されたい気持ちで生活してますが本当に信じてた自分から裏切られたと言う気持ちから信用出来ないこんな感じで生活してて意味あるのかと言われています。裏切った自分ですが本当に妻が好きで一生かけて償いたい。わかってもらえないのであれば死んで償えば自分の気持ちが伝わるのかなぁと考えています。しかし死んだら相手には伝わるけどその後のこともどうなるかと考えると死にたいけど死ねません。生きたまま自分の意思を伝えたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「償い」
こんにちは、初めまして。
悩まれていることは伝わって来るのですが、最初に確認です。
あなたは、公開のプロフィールに「女性/30代」(10日8時現在)とあります。そのあなたが、「信頼されていた妻を風俗に行って」と書かれていますが、これはプロフィールの間違いですよね。あなたは、男性で、夫の立場で「妻を風俗に行って裏切って」しまったというご質問の前提で回答します。
「裏切った自分ですが本当に妻が好きで一生かけて償いたい」、というそのままで宜しいのではないですか。「償い」は、被害を被った側が償ってもらったと感じるまでが「償い」ですから。
あなたが「償い」にかけた年月の長さは文面からは分かりません。
今は、1年経ったのか、2年経ったのかは分かりませんが、今度こそは「相手の気持ちを考え」られるような言動を心がけ、奥さんに怪しいなと思われるような時間の使い方は極力避けるように粛々と努力し続ける。
これがあなたのすべきことであるし、あなたの償うべき行為の重さだと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。相手のことを思い一生償う覚悟です。