給料に興味が無い
前回就活が終わらなくて生きるのが辛いと相談した者です。苦節約1年、21社目で本日ようやく内定を頂きました。
それで、周りの人に内定を貰ったと報告しました。その中でいつも馬鹿にしあう友達から「どこで働くん?給料は?」と言われました。でも私は給料を知りません。というか興味がありません。なので「知らないどうでもいい」と答えたら「頭おかしいだろ」と言われました。
私は現在掛け持ちで働いているバイト先2つとも時給を知りません。給与明細も見ますが、大体月末にお金を引き落としてからこんだけ貰ったんだと知る感じです。
私は自分に自信が無いので、こんなんなのに働かせてもらって有難い、お金貰うなんてとんでもないと思っています。私なんかがお金を貰って良いのかという感じで。
人に求められてることが嬉しいので、人に必要とされに行ってお金がついてくるのような気持ちで働いています。
だから企業を探す際も給料、福利厚生なんか一切聞いてきませんでした。説明会で話されても全部聞いてないしどうでもいいと思っていました。
この様な考えは危険なのでしょうか。頭がおかしいのでしょうか。
ネットで検索しても同じような考えの方は居ませんでした。
端的に言えば、働いた対価としてお金を貰うことに抵抗があります。勿論お金が無いと生きていけないのはわかっています。でも普通の人のような考えができません。
こんな私をどう思いますでしょうか?
生きづらい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
治生産業もとより布施に非ざること無し
こんにちは。
内定おめでとうございます。
お給料の金額に興味がなく、それをお友達に言ったら「頭がおかしい」と言われたのですね。私もあなたのお給料に対する考え方に賛成です。おかしいとは思いません。
お給料の金額を知り、その範囲内で計画的に使うことは大切な事ですが、「いくらもらった」かを過剰に気にして、「もっと欲しい」「○○さんより働いているのに○○さんより少ない」などと思ったりするのは、苦しいものです。もちろん働きに対して異常に少なかったりもらえなかったりしたら、会社に伝えるべきだと思いますが、いただいた分で満足という気持ちは大切です。(少欲知足)
曹洞宗の開祖道元禅師の言葉に、「舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり治生産業固より布施に非ざること無し」とあります。ボランティアなど社会福祉への貢献も布施行(己の利益のみを貪らない、見返りを求めない行い。仏教で大切な行いのひとつ)であるが、自分の生業(なりわい。職業)につとめはげむのも、その心の持ち方でいくらでも布施行となることを知り、つとめるべきである、という意味です。
あなたの「働かせてもらって有難い」「人に求められてることが嬉しい」という気持ちを大切に、一方でご自分を安売りする事のないようにお金とつきあっていきましょう。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
私の考えはおかしくないと知れて良かったです。
“自分を安売りしない” 大切にしていきたいと思います。
ありがとうございました。