大切なひとを助けられずなくしました
大切なひとを助けられず、なくしました。
今もこうして言葉にすることすらまだ受け止められておらず、
病と戦った末で生を全うした最後ではあったものの、
私がもっとサポート出来ていたら、もっと一緒に時間を過ごせていたら、という気持ちが強く、
私自身はもう、生きていて良い人間だとは思えていないのが、今の自分自身です。
喪失感が日に日に強くなり、いくら想っても、もう話すことが出来ない、声を聴くことができない。ただただもっと一緒に温かい時間を過ごしたかった。感謝を伝えたかった。
周りには心配を掛けられないので、人前では着丈に振る舞うことが自分の務めのような気がしていて、
「この出来事のなかあなたは強いね」と言われましたが、
私は、つよくなどなくて、
ただ、自分自身の深いところが、ぽっかりと穴が空いて、こころが麻痺をしているのか、
全ての価値観において、以前の自分では無くなってしまったような気がしています。
時は戻せないし、なくなった人は戻ってこないけれど、
これからの自らの生き方をもってして、感謝と恩返しの気持ちを伝え続けていくことが、生涯をかけてわたしができる唯一の道だと思っています。
拙い文章で恐縮ですが、どうかお力添え、お言葉を頂ければとても幸いです。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今は、今の気持ちに向き合えばいいのです。
大切な方を亡くされたこと、みくさんのご心痛お察し申し上げます。
大切などの方が亡くなられたのは分かりませんが、病であったことは理解できます。
ご自身が、もっとサポートできたらとありますが、ご病気であったならば、それはご本人の体力や医師や医薬等の範疇でありますから限界はあります。ゆえに、亡くなられたことに対しての後悔や、まして、生きていて良い人間なのかと自問自答すること自体も考えすぎであると思います。あくまで、寿命で亡くなられたということです。
>これからの自らの生き方をもってして、感謝と恩返しの気持ちを伝え続けていくことが、生涯をかけてわたしができる唯一の道だと思っています。
それで大丈夫ですし、それしかありません。
今は、悲しい中でも気丈に努められていますが、おもっきり泣きたいこともあるでしょう。そういう時は、おもっきり泣けばいいのです。人からなんと言われても、気にすることはありません。
そして、時間と共に心も落ち着いてきます。そしたら、また、本当の自分も戻ってきます。それまでは焦らず、自分のペースで進んでください。
これからも大切になさって下さいね
拝読させて頂きました。
あなたにとってとても大切な方がお亡くなりになられてあなたは深い悲しみや喪失感や後悔の中にいらっしゃるのですね。あなたのその深い思い全てはわかりませんけれどもあなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
その方が仏様に救われて心安らかになりますようにと切にお祈り申し上げます。なむあみだぶつ
その方は必ず仏様がお導きなさって下さり、親しい方々に優しく迎えられます。そして一切の迷いや苦しみから救われて心から安らかになります。そしてこれからもあなたを優しく見守り続けて下さいます。
あなたとその方とのご縁はこれからもずっと続いていきます。
どうかその方にお向き合いなさりあなたの思いをありのままお伝えなさって下さいね。その方は必ずあなたの思いを全て受けとめて下さいます。そしてこれからもあなたに寄り添い支えて下さいます。
その方はあなたや沢山のご縁ある方々と一緒に一生懸命に生き抜いていかれたのではないでしょうか?、そして天寿を全うなさっていかれたのではないでしょうか?
私達にはそれぞれに与えられた巡り合わせがあるのです。その方も様々な巡り合わせの中でしっかりとご自分の人生を生き抜いていかれたのです。
あなたはこれからもその方とのご縁の中で生きていくのです。
あなたがこれからもずっとその方とのご縁を大切になさりながらご自分の人生をお健やかに人生を生き抜いていかれますよう切にその方にお祈りさせて頂きます。
お返事ありがとうございます。お読みいたしあなたの思いの深さを教えて頂きました。きっとこれからもあなたをいつもいつも優しく見守っていて下さいますね。あなたはいつも支えられているのです。どうかこれからもその愛情に支えられて生きて下さいね。
そして宜しければまたあなたの思いをお聞かせください。あなたを心から応援してます。
質問者からのお礼
こんばんは。
まとまりの無いお願いにも関わらず、お返事を本当にありがとうございました。
大切なひとと称したのは、わたしの実の母です。
彼女は私が幼い頃からの心の病とずっと戦ってきました。
病がそうさせていて、でも本当の母は誰より優しくて繊細で穏やかで、
子供心には飲み込みきれない状況がとてもとても多く、
どうしたらいつもの優しい母に戻ってくれるか、小学校1年生の時、毎日お仏壇へお願いをしていたこと、
どんなに泣いてお願いしても、母は私のピアノの発表会に来てくれなかったこと、
色々なものを抱え、わたし自身が向き合えないまま今に至り、
ちょうど一年前に母がガンの手術をして、わたしは遠方で帰れない、ろくに寄り添ってあげられないまま、なくなりました。
最後に話した電話で、苦しそうな息をにしていた母は、もうすぐ帰るからね、今すぐ行けなくてごめんねと泣いているわたしに、
大丈夫だから、ちゃんとご飯も食べているし、心配しないでと言いました。
半年ぶりにあった母はとてもとても痩せていて、この世にこれ以上大切なことなど何もなかった、
今でも毎秒ごとに、そう思っています。
ちゃんとした供養の仕方もわかりません。
でも、わたしは母が何の仕事をしようが、わたしの幸せだけ願ってくれていたことを知っています。
いろいろなことがまだ整理がつきませんが、明日は市町村の精神衛生士の方から、母がずっと戦ってきた心の病と同じように戦っている方々の自助会のお話を伺ってきます。
周りの誰にも話せなくて、たくさん書いてしまって申し訳ありません。
でも、母はわたしが幸せでいてくれることだけ願ってくれている、
数千枚の私の幼い頃の写真と、
母の綺麗な綺麗な字の、わたしへのそれだけを綴った沢山の手紙だけが手元に残った今、
わたしにできることは、心から生まれて来てよかったと思えるような自分の生き方をみてもらうことなのだと思います。
長くなり、ごめんなさい。
ひとつひとつの行動を、母が望んでくれたようにしていけるよう、産んでくれたことへの感謝を、自分の心から思えるようになるように、
思いっきり泣いて、ひとつずつそうなれるよう生きていきたいと思っています。
お返事、とてもとても助けられています。
心より、ありがとうございました。