人に迷惑をかけずに生きたい
人に迷惑をかけずに生きていく術はないのでしょうか。
何をしても人に迷惑をかけてしまいます。私は生きているだけで迷惑なのだと思っています。
独身ですがありがたいことに支え合える家族も信頼できる友人もおり、その点では私ほど人に恵まれている人間もいないと思っています。私の自慢でありとても感謝をしています。
しかしそんな大切な人達に私が関わることで知らず知らずのうちに困らせ、時間を奪い、悩ませてしまっているのではないかと思うのです。大切な人達に心良い時間を与えてもらっているのに私は何も返せていない。それどころか私が関わることは相手の人生にとってマイナスでしかないのではと思っています。
相手からされることは全く気にせずいられるのですが、私から相手に同じことをするのは迷惑をかけてしまう気持ちでできません。許してくれるかもしれないとも思いますが、嫌われるのが怖いです。
人には恵まれていますがどうでもいい人やあまり好ましくない人達もいます。嫌なことを言われるのも私が自覚なく迷惑をかけているからだと思います。
私は怠惰で自分勝手でなんの取り柄もない人間で人の心を逆撫でて怒らせることしかできないから、つらく当たられたり馬鹿にされたり嫌なことを言われるのも当たり前なのだ、迷惑をかけさえしなければこんなことを言われずに済むのになぜ迷惑をかける前に気がつけないのだろうと情けないです。
どうやったら人に迷惑をかけず大切な人に嫌われずに生きていけるのかを考えています。
何かお知恵をいただけましたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「迷惑」を探る本質的問題
こんにちは。
「迷惑をかけずに生きていく術」、「大切な人に嫌われずに生きていけるのか」という2つご質問ですね。
まず、「迷惑」とは「ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること」ということです。つまり、「迷惑」は他者が「不快を感じたりする」ことが要件になっていますから、おおらかな人だと全然不快ではない一方、モンスタークレーマーのような人には噛みつかれる可能性があります。
つまり、「迷惑」認定をするのは他者であって、あなただけの問題ではない、ということです。いくら気をつけていても、相手を見て迷惑だと主張する人は世の中に居ます。
また、「迷惑」は人間同士の縁という観点からも分離は不可能です。お互いに「迷惑」を掛け合って生きざるを得ない、のです。お互いに傷つけるつもりは無いけど傷つけたり、負担をかけるつもりがなくてもかけることがあります。だから、「迷惑」をかけない自分を目指すよりも、「迷惑」をかけてしまうことを前提に謙虚にものを考え、人と接するのが大切だと思います。
「迷惑」はあなただけでなく人間みんなお互い様、そして一般的常識的な受忍限度を超えたような文句を言う人の言い分を正面から受け止める必要なない、という事です。
次に、「大切な人に嫌われずに生きていけるのか」です。
「私が関わることで知らず知らずのうちに困らせ、時間を奪い、悩ませてしまっているのではないか」と書いていますね。これは、「大切な人」から直接言われたのでしょうか。恐らくあなたが内面で思っている範囲だと思います。まず、推測を断定のように考えるのは止めましょう。
あなたは、根底的に「大切な人」に受け入れられているか、認めてもらっているかが不安なのではありませんか。だから、「迷惑」をかけているかどうか測りかねているし、不安が不安を呼んで疑心暗鬼になっている。
周囲の人と、あなた自身が自分で一線をおいてしまっているのではありませんか。
「ありがたいことに支え合える家族も信頼できる友人」であるなら、もっと胸襟を開いてあなた自身をどんどん相手に伝え、見えない一線をあなた自身で超えていく必要があるでしょう。
友情がある。
愛情がある。
その単純な事実にあなたが首肯できた時、自分の問題が本質的に「迷惑」云々でないことに気がつけると思います。
追記
御返事ありがとうございました
質問者からのお礼
釋 悠水様
お返事ありがたく拝読しました。
インドでは子供に「人に迷惑をかけるな」ではなく「人に迷惑をかけて生きているのだから人のことも許しなさい」と教えられていると聞きました。仏教由縁の教えなのでしょうか。今その言葉を改めて教えていただいた気が致します。
謙虚さを忘れずに自分の行いを振り返り人と接していきたいと思います。
さらにおっしゃる通り自分に自信がなく、考えてみれば相手を心から信じ自分をぶつけたことは家族にすらほとんどありませんでした。恥ずかしながら胸襟を開いて自分自身を相手に伝えるやり方を知らない自分にも気がつきました。
このたび教えていただいたことで自分の足りない部分に目をやることができました。
見えない一線を乗り越えられるよう一歩進んでみたいと思います。
暖かい教えをいただきありがとうございました。
お礼申し上げます。