不幸が続きます。不幸と思いたくないです。
まず生い立ちを説明します。
16歳で水商売に入り、17歳で風俗。
闇金の保証人や男に騙され続けました。
20歳で同じような職種の方と結婚出産。
もちろん上手くいくはずもなく、23歳で離婚しました。
中学生の頃から少しですが霊感があり、離婚直後に仲良くしていた霊媒師の方に影響されかなり視える方になっていました。
優しい新しい主人と出会い、26歳で再婚出産し、子供は二人います。
その時に霊媒師の方に、彼は良くない、苦しむ運命を辿ると言われていました。
それでも彼を選んでしまった私も悪いのかもしれません。
彼は精神疾患があります。
2年前に彼の弟が白血病で亡くなり、それからは仕事もできず廃人のようになってしまいました。1年でやっと仕事へ復帰できるようになりました。
ですが、彼の隠していた借金、生活費で私はまた身体を売らなければならない程に金銭的に追い詰められています。
今はコロナのこともあるのでまた動き出してはいません。自己破産も正直したいです。
私は自分の人生を宝物だと思っています。人から見たら不幸だとかアホな人生と思われるかもしれませんが、こうした人生を生きてきたからこそ見える世界や美しく感じる光景もあるんです。普通が何より難しくて大変なのか、そして美しいのかを知っています。それは今までの自分があったからこそだと思っています。
きっとこれも乗り越えなくてはいけない道筋なのだと思っています。
簡単にこれまでの人生を書きました。
本題に入ります。
私は多少ですが霊感があります。離婚直後は口コミで霊視をお願いされることも多々ありました。自分が視える分には良いのですが、他人のものを視るのは怖いです。知らないのに知っているように話す自分が怖いです。しかし、自分自身のことは視えないしわかりません。
彼も、色が視える人です。
霊に関しては関与し過ぎたらいけないと思い、普段は何も見ません。見ようとすれば見える程度です。
数年ぶりに主人を視ました。黒いモヤが覆いかぶさっています。
どうしてあげればいいかわかりません。
あまり良くないものだと思っています。
ちなみに私がみえるのは基本的には亡くなった人が多いのでモヤはあまり見る機会がありません。
何かの前触れでしょうか?
もうこれ以上私は身体を売ることもしたくない。ただ普通に生きたいだけで子供達を幸せに大きくしたいだけです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拠り所をどこにするか
こんにちは、初めまして。
あなたの紆余曲折の人生を聞かせていただきました。
その文章の中で、あなたの感慨深さが表れた、キラリと光る一文がありました。それは、「こうした人生を生きてきたからこそ見える世界や美しく感じる光景もある」という部分です。苦悩の中にあっても、美しさを見出していくあなたのお心の深さに、感動を覚えます。
一方、私は「霊感」というものが一切分かりません。私の仏教では、これが人生の拠り所だとは教えられないからです。自分が「視える人」で、宇宙法則を測っていき「何かの前触れ」かを分析し、自分の思うままに近いように判断していくのが仏教ではありません。むしろ、煩悩という自己中心の心に基づいて、自分の思い通りに現実を動かしていこうという姿自体に疑問を持つのが仏教です。
あなたが、今後も「霊感」を人生の基準にしていくのなら、それはあなたの判断なので私がそれについて云々する事はできません。
しかし、「普通に生きたい」「子供達を幸せに大きくしたい」のなら、思い切った方向転換も必要ではないでしょうか。仏教は、自分を拠り所にするのではなく、仏様を拠り所にします。そして、そこには仏様を拠り所にする仲間もいます。このハスノハは、その仲間同士、そしてこれから仲間になる人たちの集まりです。
まず、自分の判断のよりどころを変える。
そして、周囲にいる人達の環境を変える。
それは、子供さんの発育とも関係があるはずです。
「霊媒師」ではなく、お坊さんと仲間になる。
人生を変えていくところに、「普通に生きたい」「子供達を幸せに大きくしたい」願いのより良き展望が見えてくるのではないでしょうか。