誰からも愛されず生きる覚悟が出来ない
交際期間も含め、長年連れ添った夫に裏切られ、以降自分の事も他人の事も信じられません。
うつ病を患っており(療養中です)、年齢の事もあり、子供も望めません。
自分を愛するということができません。何度も頑張ったのですが、それでも「お前は駄目なやつ」「あの人(夫)さえも繋ぎ止められなかった」と頭の中で声が聞こえます。
誰かを好きになっても、その気持ちは相手に伝える前に枯れてしまいます。自分に自信がなく、自分の好意を伝える事が相手に迷惑になると思うから、自信が無さすぎて好きという気持ちも諦めてしまうからです。
本当は、人を好きになりたい、愛し愛されたい、自分を受け入れて欲しい。
愛する人の子供を持ち、家庭を築きたい。
でもそれは、私には過ぎた願いです。
私は人に愛されるような人間ではないのだから、夫すら愛想を尽かすような人間なのだから、病気なのだから。
一生涯家庭を持たず、一人で生きていかないといけないのだから。
そう、ずっと思って、ずっと覚悟をしないといけないと考えています。
でも、出来ないんです。覚悟をしようとすると悲しくて泣いてしまうんです。
恋愛、結婚、家庭を持つ以外に楽しいことがあることも知っています。
友人や趣味、仕事…全部楽しいです。
うつ病の療養で出来ないのが悲しいくらい楽しいのです。
でも、いつも心に大きな穴が空いています。
誰かに「愛してる」「可愛い」「子供が欲しい」と言われたい、そんな醜い感情、煩悩が腐って出来たような最低の穴。
それが私を苦しめます。
煩悩を棄てるプロのお坊さんは、こういう苦しいときはどうするのでしょうか。
また、この苦しみを棄てる為にはどうしたら良いでしょうか。
長々と申し訳ありませんでした。
御教示いただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたに伝えたいこと
こんにちは、初めまして。
あなたの次の一文に、目が止まりました。
「本当は、人を好きになりたい、愛し愛されたい、自分を受け入れて欲しい。愛する人の子供を持ち、家庭を築きたい」、そこからあなたの切実な思いが伝わってきます。
「夫に裏切られ」「一人で生きていかないといけない」ということは離婚されたということでしょう。「お前は駄目なやつ」「あの人(夫)さえも繋ぎ止められなかった」という声が胸の内で反芻するというところからは、深く愛したかったのに深く傷つけられた無念さが読み取れます。
その傷心のあなたにとって難しいことかもしれないのですが、ひとつ考え方の転換を提案したいです。それはあなたも文中で使っている煩悩という言葉の捉え方です。
煩悩、とは自己中心の視点、心の働きのことです。人間みな平等にこの影響の中に生きざるを得ません。私も、あなたも、元ご主人も同様です。
あなたは元ご主人との関係の破綻の原因をあなたの方に求めすぎていないでしょうか。お坊さんのみに公開されているプロフィールにはあなたを傷つける元ご主人の言葉が書かれてあります。その言葉の一つ一つは、元ご主人の自己中心さ煩悩から流れ出たものではないでしょうか。
つまり、あなたが「駄目」だったのではなく、元ご主人が自分の煩悩を慎むことを怠ったことこそ「駄目」だったのでは、ということです。夫婦関係のことで一方が100%「駄目」ということはまずあり得ません。むしろお互い様と思うほうが順当です。
あなたは「人に愛されるような人間ではない」
と卑下しています。しかし、冷静になって事実関係だけを考えてみると、あなたは元ご主人との間で不首尾に終わっただけであり、そのひとつだけをとって今後愛し愛される関係が築けないと思うのは少し行き過ぎているような気がします。
私は事情をよく知らずにあなたのことを書いてるのかもしれません。でもあなたのことを応援したくて書いています。
あなたはまだ30代でお若いです。
諦めるのはあまりに惜しい。
私が以上に書いた、煩悩の観点、将来において愛し愛される可能性はまだまだ十分あるということ、この二つを今一度お考え頂けたら嬉しいです。
そしてここでは十分字数がありませんが、あなたを無償の慈悲で包む仏様がいらっしゃることに思いを致していただけたらと願ってやみません。(字数制限)