大学受験を前に涙が溢れて止まりません。
はじめまして。現在高校3年生です。
高校入学と同時に、苦しかった高校受験から解き放たれた喜びで高校1年と2年は完全に遊びました。高3からは頑張ろうと思ったものの、定期的に1・2年で遊んでしまった後悔の波のようなものが押し寄せてきて、勉強どころではなく、気付けば涙が溢れてきて自分はなんてダメな人間なんだろうと思ってしまいます。
中学3年生の時に、1日に14時間以上勉強してやっと手に入れた第1志望でとても嬉しい気持ちでいっぱいだったのですが、今ではあの時死にものぐるいで頑張った自分にただただ申し訳ない気持ちしかありません。
高校に入ってからは、周りは頑張っていたのに私はだらだらと遊んで過ごし、気付けば3年間で何もやりきったことがありません。そして受験を目の前にした今、ここで妥協して行けそうな大学にしたら自分が嫌いになってしまうだろう、もう一度頑張ったらこの後悔を断ち切れるかもしれないと思い難関国公立大学を目指していますが、現実的に今の学力に鑑みて、今年の現役合格はほぼ見込がありません。そんな私ですが、いい両親に恵まれて「もう1年頑張るなら応援するよ。」と言ってくれているので、その応援に感謝し、浪人して自分ができる最大の努力をしたいと思っていました。しかし、少し前に教室で、あるクラスメイトたちが浪人している先輩について話していて、「ええー、あの人浪人してんの?負け組やん笑」「能力なかったんちゃう笑」ということを言っているのを聞き、私に対して言った言葉ではないことはわかっていましたがなんとも言えない辛い気持ちになりました。私が、浪人覚悟で今からでも頑張ればきっと…!と思っていた事も全部、ただこれまでだらけた自分を合理化していただけだったのかもしれない。浪人して入った大学でもあの人たちが言っていたように思われるかもしれない。社会に出てからもみんなから言葉にこそしないものの、無能と思われるのかもしれない。考えすぎだとわかっていますが、ふとした時に考えて胸がいっぱいになってこれからの人生が真っ暗に思えて泣いてしまいます。
私の高校受験や高校生活に意味があったのか、今からの大学受験やこれからに意味があるのかわからなくなってしまっていました。
長々と分かりにくい文章で本当に申し訳ないです。何かお言葉を頂けたらとても嬉しいです。どうかよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
さあ、やりましょうか!
今のあなたは後悔と不安で押し潰されそうになっています。
そして、あなたを押し潰そうとしているのは実は「あなた自身」なのです。
過去を悔やみ、未来が不安で仕方がないあなたが、あなた自身を攻撃している状態です。
過去ではなく、未来ではなく「今」を生きましょう。
あなたには一日に14時間勉強できる、努力出来る類い希なる才能があるのです。ならば、今晩から勉強を始めましょう。
今からどこまで実力を伸ばせるかはやってみないとわかりません。でも、あなたの今の思いを遂げるには今やるしかないんですよね。
涙溢れても、ノートが涙で濡れて波打つまで勉強しましょう、やり抜きましょう。いえ、勉強を始めたらきっとすぐに涙は止まりますよ。
でも、勉強を始めても別なことばかり考え、後悔と不安に苛まされていたなら涙が止まることはありません。
「涙」と「後悔」と「不安」から解放されるには「勉強」するしかないのです…分かっていらっしゃると思いますが。
苦悩を乗り越えた者だけが、素晴らしい感動を味わうことを許されます。
さあ、頑張りましょう。
今後のあなたに何が起ころうとも、仏様が御一緒下さっています。
質問者からのお礼
小林 覚城さま
本当にありがとうございます。
「過去ではなく、未来ではなく「今」を生きましょう。」というお言葉に救われました。ありがとうございます。今を精一杯生きます。不安になるようなことがあったとしても、また小林さまからのお返事を読み返して、何度でも頑張ります。貴重なメッセージをありがとうございました。