今まで頑張ったことの意味が分からないです
私は都内の大学に通う大学1年生です。
私は今通っている大学にずっと入りたくて高校生をほぼ勉強に費やして今の大学に入りました。
受かった時はとても嬉しかったし、今も大学の友達も好きで概ね楽しく過ごせています。
でも、コロナの感染のために最近は全く会えなく、2020年も好きな時に会うことはできませんでした。
私は何のためにこんなに勉強して都内の大学に入ったのか分からなくなってしまいました。
私は一度も対面の授業を受けたことがありません。それに今の大学の授業は教養(もちろん教養も大事です)のみで、楽しみにしている専門の授業は全くありません。
一方、地方やちょっと都内から外れたところにある大学に通っている友達は毎日対面、友達と放課後や休日に遊んで専門の授業を大変だーと言いながら受けられて、本当に羨ましいです。私は友達と遊ぶことが好きなのでこんなパンデミックが起こるなら高校時代の勉強もそこそこで地方に行った方が楽しく過ごせたんじゃないかと思います。
国家試験に受かってしまえば出身大学なんて関係ないし、本当に自分が何のために今まで頑張ったのか分からなくなってきました。
毎日が本当に辛いです。今更大学を変えるつもりなど全くありませんが、私がやってきたことは意味があったのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
意味のないことはなにもありません。
ぴんくさんのお悩みお察し申し上げます。
頑張って努力して、あこがれの都内の大学へ入学することもでき、さあこれから楽しい大学生活が待っていると思っていたのに現実は、コロナ禍の中、規制され誰にも会うことが出来ず、一体自分の青春はどこへいってしまったのか・・・・と嘆かれる方、ぴんくさんも含め大勢おられます。私の周りにもおられます。
たしかに、ぴんくさんの嘆かれる通り多くの学生さんも同じ状況です。
冷静でいてくださいということさえも、言えないのが実情です。
でも、しかし、この状況が永遠に続く訳ではありません。必ずや変化はしていきます。このような環境に於かれた時、どのように考え行動するかによって、全く異なった結果はでてくるでしょう。
言えることは、身体(行動)は拘束されても心(精神:意識)は拘束された訳ではありません。理想としていた状況になっていないかもしれませんが、それは仮にコロナ禍でなくても同じ状況になっていたかもしれません。
どうしようもできないことは、この世にが多々あります。
理不尽なこともいっぱいあります。でも、それに対して文句を言っていても何の解決にもなりません。
一通り文句をいい、怒りを発散させたらあとはどうするかだけです。
地方にいる友人が羨ましいかもしれませんが、だからと言って妬んでも仕方かありません。そこはそこで悩みもあるでしょう。
何の保証もできませんが、しかし、次に世の中かが動き始めた時は、少なくとも世間の価値観も変わり、このコロナ禍の中をいかに過ごしたかによって、その価値は発揮されるでしょう。
もう少しの辛抱かもしれませんが、それまでは、ここでもいいですから思いをぶつけてください。ぶつけることで発散してください。
それも意味のあることです。もし、順調に大学生活を送られていたらここに来ることはなかったでしょうから。
コロナ禍で状況が変化しただけ。
あなたが頑張ってきたことの意味は
何ら変わりません。
国家試験に受かってしまえば
出身大学なんて関係ないのを分かっていて
その大学を受験し入学したんですよね。
そして善き友人とも出会えましたよね。
それだけで
都内の大学に入った意味はもうあります。
今は誰もがコロナ禍で同じような思いをしています。
もう1・2年は不遇な状況かもしれませんが
これを稀有な修行期間だと思ってみませんか。
それが過ぎれば
霧が晴れたように
今までの頑張りが活きてくると思います。
質問者からのお礼
和田隆恩 様、鈴木海祥様
どれだけ意味を考えても意味がないですね。悩んでる時間を何かコロナ後に生きてくるようなものに変えたいと思います。
ご回答ありがとうございました。