この世に生きる価値はありますか?
以前にいくつか相談させて頂いたものです。感謝の言葉を保留にしてそのままにしてしまったものもあり、大変申し訳ない気持ちです。その節はありがとうございました。
今回は、かなり取り止めのない、身も蓋もない質問です。質問ですらないのですが。
もう、死んでしまいたいです。
今私は鼻炎の手術を終え、退院し家で養生しています。所詮小さな手術とはいえ、術後の痛みに数日悶え、食欲も衰え、そこから復活する過程でいくらか生きることの有り難さがわかりました。
しかしそれでも尚、こんな世界に生きる価値があるのか?と思います。
世の中には確かに、優しさや親切があります。仏の慈悲と呼べるようなものが隠れているかもしれない。
でもそれは、夥しい数の死体と無念の上で行われている茶番に過ぎないのではないでしょうか?
大勢の清潔な人間が集まり、醜く汚い、「悪く見える」少数の人間を排除する。「自分を大切に」という現代的なスローガンの元、社会からどんどんゴミが消えていく。
20代後半である私の経験上、多くの場合排除する側が女性で、排除されていくのは男性ばかりでした。私も小学生の頃女生徒からいじめを受けていました。
しかしこの歳になって見るのは「女性にもっと優しい社会に!」という言葉ばかりで、まるで私の見てきたことは無かったかのようです。
私の思う正義や道徳は、もう一般的な世界では通用しなくなっているように思います。私が何を言っても、もう異常者の戯言でしかない。
天上で楽を極める清潔な人々は、餓鬼の飢えや苦しみを理解することなく、ただ薄っすら笑うだけなのではないか。
しかし、この腐った世の中で少しでも楽に生きるためには、天人になるしかないじゃないか、とも思います。ただその足元はいつも、声なき犠牲者たちの血だまりで濡れている。
かといって、その血だまりに足を踏み入れ、一生を賭してそこに光をかざす生き方など、とても怖くてできそうにない……。
世の中に対する罵詈雑言を並べても、結局は自分の弱さ、幼さ、愚かさに立ち戻ってきます。
私が死んで悲しむ者は誰もいない、と言ったら嘘になります。では、死んで悲しむ者が誰もいない人間は死んでいいのか?それにYESと答えてしまいそうなこの世の中が、反吐が出るほど嫌いです。
勝者になっても敗者になっても惨めで醜いこの世界で、生きていることが苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
冷静な思考が大切
こんにちは。
前回もご縁あって回答しました。
「かなり取り止めのない」「質問ですらない」と書いているので、ただ吐き出したいだけなのかもしれませんが、一言だけお話しします。
「死んで悲しむ者が誰もいない人間は死んでいいのか?それにYESと答えてしまいそうなこの世の中が、反吐が出るほど嫌いです」と書いています。
「死んで悲しむ者が誰もいない人間は死んでいい」とは誰が主張しているのですか。あなたが設定した仮設の問いですか。
「それにYESと答えてしまいそうなこの世の中」と書いていますが、あなたの主観を裏付けるデータ、統計はあるのですか。誰かそう言っている人が居るのですか。その意見が大勢を占めた「世の中」になっていることが客観的に証明できるでしょうか。
ご自分で仮設の問いを作って、実態が不明な「世の中」からの仮設の解答を与えて「反吐が出るほど嫌い」というのは、思考の順当さからいって適切ではないように思います。
悩み多いのは伝わって来ますが、そんなときこそ冷静な思考も大切です。
追記
ご返信ありがとうございました。
あなたのおっしゃること、うけとりました。
あなたがおっしゃること、真実をついていると思います。
よかったらもっと聞かせてください。
生きることが苦しいとのこと、こころから同意します。
きっとこんな世の中が真実でも、
生きたい気持ち、つまり生命力が勝ったら生きていくし、
僕らは結局、ベースのところで遺伝子の言いなりなのかもしれませんよね。
無限の数の先祖が、つねにこの荒波を乗り越え続けて、いまの私がいる。
そうおもうと、自分は勝ち組ともいえるし、そこに敗者はつねにいただろうし、
なにやら崇高な気持ちにもなります。
つらい、つらい、つらい、つらい。つらい。
その通りですよね。
でも、つぎの息継ぎをせずにはいられない。
くるしい、くるしい、くるしい。つぶれそう。
個々の事情はわかりませんが、なんとなくお察しします。
これは語るべき内容だと思いますし、その語りから生きる勇気を導き出すことができたら、なおいいなと思います。
みんなつらい。だから一緒にがんばろう?といえる仲間が、僕はほしいな。
語り相手になってくださいませんか。
質問者からのお礼
お礼の前に、補足させて戴きます。
釋 悠水様、厳しいお言葉ありがく頂戴しました。貴殿のような冷静さをかねてより持ちたいと私も思っております。
しかしこの質問はもともと1500字のものでした。1000字に収めるために、私の感情的な部分と実際的な部分を両方500字削りました。その中で、統計的事実を示すことは困難極まりました。なので、あくまでも私の主観と実体験によるものとして「この世が嫌いだ」と申すに留まりました。
貴殿のような冷静さがあれば、以上のことも理解して頂けると信じます。
一旦失礼致します。
釋 悠水様にどうしてももう一つだけ書かせていただきたい。
まず、以前も質問に答えて頂いたこと、誠に恐縮いたします。おそらくお礼の言葉を書き損ねた質問でしょう。自らの不徳、怠惰を深く恥じ入り、お詫びいたします。
ただ私が申し上げたかったことは、「回答者は私の数行の文章について矛盾や齟齬を何百字も書けるが、私は自分の悩みやその妥当性について1000字以内できっちり書かねばならない」ということです。
無論、私はそれを受け入れた上でここを利用していることになっていますが、指摘すべき不公平はきちんと指摘させて頂きたい。私は冷静ではないが、殊更に指摘されるほど激情してもいません。
その上で、冷静で妥当な文章をきっちりまとめる力をつけていきたいと思います。
釋 悠水様、ありがとうございました。