贅沢をできない、したくない
自分が贅沢をする事に強い罪悪感を覚えます。
私は末っ子なので相当甘やかされてきました。
そのせいで我儘で自分勝手な性格になり、多くの人に迷惑をかけてきました。
そんな数々の贅沢や我儘に対して一切の無自覚であった、自分の腐った性根に対してだけでも腸の煮えくりかえる程の激しい憎しみを覚えます。
しかし、『何一つ期待通りの成果を出し切れなかったクセに、自分が未だに身の丈に合わない贅沢をしている/しようとしているコト』に対してさらに強い嫌悪感を抱くようになりました。
「一体何様のつもりだ!卑しい恥知らずめ!早く死んでしまえ!」と、自分を激しく糾弾するようになり、それからは、自分の行動を非難するようになりました。
例えば、
旅先で美味しそうな物を食べようとしたら、
「お前が食べて良い訳ないだろ。身の程弁えろよ。」と、結局買わずじまい。
観光や旅行しようと考えると、「お前がそんな贅沢して良い理由がどこにある!?全く、良いご身分だな!」と、パンフレットをゴミ箱へ。
日常生活でも、
「お前が着るものはこれで十分だ」
「お前が食べて良いのは、“値引き品”か“おつとめ品”だけだ」
「バスやタクシーを使うなんて図々しい。歩け。」
「ストーブをつけたい?甘ったれるな!」
「お前のせいでこんなに電気代がかかった!」
と、自分を糾弾する。
お前のくせに、お前ごときが、お前の分際で…………
何をするにしても楽しいと感じることができなくなってしまいました。
結局、何もかも自業自得なわけですが。
我儘で自己中な自分自身を苦しめて傷つけることが、
正義であり美徳であると感てしまいます。
ここで相談していることすら、『甘えている、贅沢しようとしている、逃げたいと思っている』と感じてしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私のいのち!?
砂の星様
こんにちは。ご相談ありがとうございます。
ずいぶんと自虐的なんですね。親御さんや姉兄さんに「甘えるな」とさんざん言われてきたのでしょうか。あなたに対する愛情が少し違った形で伝わってしまったのかなと思いました。ぜいたくすることに必要なのは罪悪感じゃなくて「感謝」じゃないかと思いますよ。
「私」の存在を「私のもの」としていいのでしょうか? あなたの「いのち」は誰のものでしょうか? どこかの誰かから「お預かり」している「いのち」だとすれば、自然と大事にするように思います。「私のいのち」として「独り占め」してしまってはダメなように思います。
あなたは、自分自身がぜいたくをしているように思っていますが、見方を変えると「あなたのいのちを大事にしている」ということではないでしょうか? おいしいものを食べて、身体をいたわって大事にしていくことは悪いことなんでしょうか?
いかがでしょうか?
沢山の恵みがあなたに注がれてます
拝読させて頂きました。
あなたがだいぶご自分のことを卑下なさっておられることを読ませて頂きました。あなたが何故それほどまでにご自分のことをわがままで自己中だと思われていらっしゃるのは定かではありませんが、あなた自身苦しんでるようにも感じます。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
先ずはあなた自身のことをどうかあまりにも見下すことや卑下することから解放なさってくださいね。
あなたはご存知でしょうけども、あなたは本当に沢山の方々やものごとに恵まれて、沢山の方々から愛されて育まれて今を生きています。ですからあなたは本当に大切な人なのです。あなたがこの世に生を受けてから沢山のものがあなたに与えられ続けています。それが贅沢なものなのか度を越したものなのかはわかりませんけどもそのおかげであなたは今元気に生きていらっしゃるのです。そのことを決して忘れないで下さいね。そしてそのことを踏まえてこれから自分がどう生きていくことがいいのか、望ましいのかをじっくりとお考えなさってみて下さいね。
あなたがこれからも沢山の方々から愛されて恵まれながら皆さんと一緒に仲良くお健やかに成長なさり皆さんと分かち合いながら幸せに生き抜いて頂きます様心より祈ってます。