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自分の嗜好

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男性ですが女性用の下着を着用しています。
普段仕事の日は会社の制服を着て仕事をしているのでなかなか着用することは出来ませんが、休日はジーンズやトップスの下に着用しています。一度止めようと思って全て処分したのですが、また少しづつネット通販で集め始めてしまいました。
今はお付き合いしている女性はいませんが、いつかお付き合いする女性ができた時の為に止めないとならないとは思っているのですが、男性の下着には無い程よい締め付け感がクセになってしまいおかしいとは分かっているのですが、止めることが出来ません。
男性が仕事着や普段着の下に女性用の下着を着用するのは止めた方がいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まず、自分の現在地を把握する

こんにちは。

「女性用の下着を着用」とのこと。
同様の事例で、精神科医はこのように指摘しているようです。

・性的な興奮を目的としている
女性用の下着を着る背徳感、下着が他人から見えるか見えないかというスリルを感じ興奮を目的

・心理的安心感を目的としている
脳が髪や帽子で守られるように、心臓・胸を保護する感覚で下着を着用する。守られているという安堵感を求める目的

・性同一性障害

ざっと集めた感じですと、こんなケースが考えられるようです。
あなたの場合は二番目にあたるのでしょうか。
ただ、私は専門家ではないので詳しくは、専門家に直接尋ねる必要があると思います。

「下着を着用するのは止めた方がいいでしょうか」というお尋ねです。
ただ、自分の本意に反して無理やり止めても、実際一度全て「処分」して後に再び収集していることから現実的ではないでしょう。そもそも、あなたの着用の目的が何であるのか、まずそこを専門家に相談することではっきりさせた方がいいと思います。案外、気が付かない自分の一面が、専門家によって指摘される可能性もあります。

前回、女性に思いを寄せて叶わなかった旨の相談がありました。
このハスノハにおいても、結婚後に旦那さんの女装(今回と同じかは不明)について興味があることが分かって・・・という相談が奥さんから寄せられたことがあります。その後の選択肢は、ご夫婦それぞれのようです。

本来ならば、今の所人に迷惑をかけたわけじゃなし、嗜好に人が口を挟むべきではないといってあげたい気もします。ただ、将来的に結婚を視野に入れた場合、秘密のまま、現状把握が出来ないままでは後の混乱に繋がります。

先ずは、診断してもらって自分の現在地を把握する。
どう対処するかはそれからお考えいただければ、と思いました。

では、一先ずこれにて。

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浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布教研究専従職員 元龍谷大学講師 元篤志面接委員(法務省管轄) 真宗学修士、心理学学士 Fmみっきい(地元ラジオ局)出演中 趣味:サックス 2019年末頃から回答しています
応談できる時間帯は、その日によって違いますのでお確かめ下さい。 月曜日〜金曜日(祝日除く)13時〜21時 土曜、日曜、祝日 18時〜21時 お盆(8月1日〜15日)、お彼岸は対応できません。

止めなくても良いんじゃないですか。

誰かに迷惑を掛けたり
誰かから嫌がられたりしないなら
個人の趣味の範囲内だろうと思います。

好きな人が出来た時のことが心配なら
程よい締め付け感がある男性用下着を
今のうちから探してみませんか。

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おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

衣服 法衣 作業着 コスチュームの願いや尊厳に耳を傾ける

花粉の多いこの時期は花粉症の人は花粉が付着しずらいウィンドブレーカーのような衣服が望ましいとされています。
医療や食品に関わる業界においては白い衣が重宝されます。汚れが目立たないものであれば不衛生だからです。
また医療従事者としての法衣であり、一般人がその衣服を着ることはその資質や資格、人の命を救済するという立場でなければその衣を着ることすら憚れるものであり、憚れる「べき」ものであります。私も恐れ多くて着用することはできません。
僧侶の法衣も法衣としての機能があります。
人をして、またおのれをして「わたくし」させることなく、出家性を維持し、煩悩を断じ、衆生済度を願い、仏法を学び、悟りや涅槃を求める請願が込められた衣です。また何ものにも染まらない自由性、法そのものの象徴でもあります。
それをもしアニメのイベントやドラマなどで衣装・コスプレとして着ることがあれば、それは必要とはいえ内容は伴わないものです。
僧侶が着ることですら、内容が伴わない者が身にまとえばそれは仏法をそしることになりコスプレとさほど変わりません。
法衣、衣服とはそのように必要性と、祈りが込められたものです。
プロ野球選手のユニフォームも長年修練を重ね「実力」を持つ人間でなければ着用することはできません。プロを志す人にとっては目指す球団のユニフォームは神聖なものと言えましょう。市民、国家の安全を守る警察官・自衛官の服もその任務の精神を心得た資格のある人でなければ着用することはできません。
さて、男性用・女性用の衣服も衣服の機能や尊厳というものがあります。
嗜好というものは必要性とは異なるものですから、使用する目的も方向性も異なるものです。
長々と法衣やコスチュームの話をいたしましたのは、衣服にはそれぞれの尊厳というものがあるということをご理解いただきたかったからです。ここまでの文を「ありがたや」という気持ちを込めて一節ごと読み返してください。
理性や欲望にも勝る精神エネルギー。それは尊厳を感じ取ること。
公的な場であなたはそれをやろうとしない。それはあなたも公の眼を意識して尊厳を優先する精神があるからです。ならば、その尊厳をさらに尊んで踏み入れてはいけない所には嗜好という名目で触れないことです。煙草も嗜好といっても人体には必要のないことです。男女の尊厳を敬う精神も仏法です。何度か読み返してみて下さい。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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