「無常」と「死」
高校3年生です。
僕は、多分周りの誰よりも死ぬのに臆病です。
人は必ず死ぬ。その事実をなんとかして受け止めようと、色々模索していたところ、お釈迦さんの教えである「無常」に辿り着きました。
「世の中にある万物は変化し続け、ずっと変わらないものなどない」という様に自分は解釈し、自分の生き方に当てはめてみました。
しかし、ある疑問が出てしまったんです。
僕はあの世とか魂などというものを、あったらいいなとは思いますが、なかなか信じられないでいます。
それ故に、人は死ねば終わりだ、「無」だ、と考えているんです。
お釈迦さんも、死後のことについてはあまり説かれなかったと聞いています。
ならば、死んで「無」であったとしたら、
「無常」という考え方は果たして通用するのか自分には分かりません。
お坊さんなりの解釈やヒントを教えていただければ幸いです。
高校3年生です。 近頃よく、「死」や「生」について考えるようになりました。 そのきっかけとしては、"死ぬのが怖い、どうしようもなく怖い"という、ある意味全人類共通の課題に直面したことでした。 自分なりの答えを見つけ、「死」に立ち向かいたいと思い、色々考えを巡らせた結果、仏教の考え方がすごく自分に合っているような気がして、お坊さんに話を聞いてみたい、もっとお釈迦さんの教えを理解したい! という信念のもと、このサイトに行きつきました。 何卒、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「無常」の裏表と信心
こんにちは。
文面からは、あなたがとても「死」の問題を切実に考え、向き合われていることが伺えます。「死」の問題について、仏教的観点から考えたいのですね。
「世の中にある万物は変化し続け、ずっと変わらないものなどない」、これが「無常」ということはその通りです。ただ、これはしばしば誤解されがちなのですが、「無常」とは全ての存在は儚いという意味合いの一方、儚いがゆえにその存在している瞬間が貴重である、ということも教えてくれるのです。
あなたは「死」という事実が、100%の結果として受け止めかねて、「誰よりも死ぬのに臆病」になっているかもしれません。それはそれで人間の情として自然ですからいいのです。
ただ、「死」という事実は、生きている、命ある自分を際立たせてもくれます。
心臓が動いて、血液が流れ、空気を吸い、ご飯を食べ、人と話し、喜んだり、泣いたりする。その貴著な一瞬を噛みしめさせてくれるものが、「死」でもあり、「無常」という考え方であることを知ってほしいです。「死」があるからこそ、生きているということが言えるのです。
「無常」ということを、儚いと貴重であるという両面で見れているか、これが1つ。
2つ目ですが、これは仏教という大きな括りではなく、もう少し具体的な宗派、信仰に関わるお話です。私は、浄土真宗の視点から語ります。
「僕はあの世とか魂などというものを、あったらいいなとは思いますが、なかなか信じられないでいます」とあります。「信じられない」のですね。なるほど。
私は、極楽浄土がある、と聞き信じさせていただいています。
何で、こんなもって回った言い方をしているか、というと信じるという自分の意志・思考に重きをおいていない表現を取るためです。私が信じるから極楽があるのではない。信じないから極楽がない、ということでもない。
仏様によって必ず極楽へつれ往く(往生)と聞かされ、信じさせていただく(信心)から極楽があることを知る、のです。これは、何度も聴聞という法話を聞くことによってのみ得るられることです。
あなたの宗旨がわからないので、簡単な案内となりました。
あなたの仏教を見定めていく時のヒントになればと思い書きました。
では。
追記
ご返信ありがとうございました。
お役に立てて嬉しいです。
また、質問あったら聞いて下さい。
仏縁が深まらんことを。
無常ゆえに「無」が成り立たない
うーん。難問だ。
答えから言うと、無常ゆえに「無」はありえないんです。
同様に私たちが恐れる「死」も脳内の概念だとなります。
お釈迦さんは、あの世とか、魂とか、無とか、仮に言葉は認めても、それはただ言葉や概念だと見るんですよね。
それと、無と考えてる間に、執着捨てる修行しましょうというのが、お釈迦さんですねえ。
死後、無だと思うことは仏教的には誤りのようです。
有無の判断は、どちらも仮の見方になります。
無常なこの世界は、有とか無とかの言葉、概念でとらえられない。ゆえに無常というんです。
ってかこんな説明でわかっていただけるでしょうか?甚だ心許ないです。
お釈迦さんは、死後、無に帰すと考えることを、断見だんけんといって退けたそうです。
永遠の命や、変わらないものも、常見じょうけんとして、同じく退けました。
ですので、あなたが、お釈迦さんに、死後は無ですか?と聞いたら、お釈迦さんは無言です。
答えないという回答なんです。
死後のことはわからない。それを考えてるうちに、貴重な寿命が尽きてしまう、と。
それより、無常の体得に努めよ、というのがお釈迦さんですねえ。
質問者からのお礼
ご返信ありがとうございます。
とても有難いお話が聞けて、心がスっと軽くなりました。
「無常」とは儚く、貴重なもの、だからこそ生きているのが素晴らしいんだ、そういった心で生きていきたいと思います。
また、もっと仏教について勉強しようと思えました。