「周りの人間の死」への向き合い方
「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。
無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。
その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。
正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。
バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。
この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。
もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心配なしです
雨男と言われる私です。
誰々のせいでこうなった。よく言われることです。
一年の中で降る雨は私の力によるものではありません。しかし、タイミング悪く雨が降ると周りはそう言います。晴れればさすが!とか。
世の中の出来事に、〇〇なさいという事はありません。全て点の出来事。その点と点を線で結ぶのは人間の考え、想像です。
人は必ず死にます。あなたが殺めたということ以外は、あなたのせいという事は100%ありません。あなた自身が作り上げた想像力で自らを苦しめているだけだということに目を向けましょう。
リアルはその場その時だけの現象にすぎません。線で結ぶのは苦しくなるだけだから❌です。
安心してください。
質問者からのお礼
改めて「私のせいではない」ということを確認させていただけましたこと、また、「想像力」という比較的ポジティブに捉えやすい表現でお話しいただけましたこと、感謝いたします。