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自分は結局何なのかわからないです

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初めまして、読んで下さりありがとうございます。

自分の存在についてです

私は幼稚園の頃、男だとずっと思っていました。
欲しいものは車や電車、道具箱も男の子用を買って貰っていました。
親に、女の子だからと言われて、自分は男だと反抗した所、冗談だなんて笑われた覚えもあります。

小学生に上がった頃は、性別なんて何も考えませんでした。
その時は男友達の方が多かったし、何より話が合うのも男友達でした。
高学年になった頃は、生理も始まり、少し嬉しさ(?)もあったり、少し可愛く見られたいとは思っていた時期はありました。
声変わりがしなくて、男の子だけと言われた時は少しショックを受けましたけど…

中学生では卒業辺りになると、男になりたいと少しは考えたことがありました。

高校生になり、周りの女の子がおしゃれをする中、メイクの話や服の話には関わりたくなく、やる意味も理解できず、女性として生きていくのがめんどくさく思ってました。
やっぱり、男に生まれたかったなぁ、、とよく考えてました。
それに、可愛いよりかっこいいと言われたかったです。

高3になると、どういう心変わりか、周りの女の子に憧れて、少しお洒落を学び始めました。

でも、本当はかっこ良くなりたくて、髪の毛も短くしたくて、通販サイトで服を買おうとした時にはメンズ物の服がやっぱり欲しくなります。
男の子として外に出たい、身長も170cm以上は欲しいし(今158cm)、声も高すぎて嫌いで、低い声が良かったです。
生理痛も結構酷くて、子宮を取りたいし、胸も別にいらない。

こんなこと、親には言えなくて、でも好きなように服を着れないのも嫌で、男装をするのがありかもと思い、親に相談しました。

結果的には協力的ではなかったです。

男装するより彼氏を作りなさい。
と言われてしまいました。

親は女性として生きていってほしいそうです。

男になりたいと気持ちが大きいのですが、少し複雑なのが、男になりたいけど周りと男としては接したい訳でもないし、女性らしくするのもいいと思ってます。

自分って結局なんなのか考えても思いつきません。
ただの憧れなのかとも思えそうです。
自分らしく生きるのもどうすればいいかもわからないです。

どう伝えればいいのかわからず、変な文章で、自分で解決出来そうなのにすみません。
よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分は自分

とても難しい話だなと拝読させて頂きました。
「あなたは何者ですか?」と聞かれたら、私は自己紹介しか出来ないなぁ…と考え、突き詰めたら命の一部としか言えないなど考えていました。
「男女」でわけるのは簡単です。どちらかに所属していたら、メンズ・レディースやトイレもどちらに入るか迷う必要はない。自分も他人も困らない。
男性・女性特有の機能を物理的になくすとなると、自分や他人が困ったり迷うことが出てきます。
性別を変えた人がいけないとか、受け入れられない他人がいけないとかの話ではなく、話の核心の土俵が違うから、ちぐはぐすると私は思っています。
大切なのは、るあさんが何が好きか。
男装ではなく、ファッションや表現と考えてみたらどうでしょうか?
たまにはメイクしてみたり、かっこいい系にしたり…自分の気持ちを楽しんで下さい。
私も人なのか鬼なのか分からない時もあるし、子どもなのかおばさんなのか甲乙つけられない時があります。
るあさんの悩みとは違いますが、どんな状況でも私は私でしかないのです。
知人の話で恐縮ですが、適合手術の為に貯金していた人が、「やっぱりやめた」と言った時のことです。「取ったら、自分じゃなくなる。望んでいるのは、このままがいいって分かった」
「男とか女とか、胸だ性器だって小さい事に悩まないで、自由に生きる!」と言ってました。私は、あってもなくても付き合い方が変わる訳ではなかったけど、とても誇らしかったです。
時間がかかるかもしれませんが、まずは、自分の好きなようにしてみて下さい(^^)自分のまま生きていけば、話せる人たちに出会ったり、「これが自分」という瞬間に出会えると思います。

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おきもち

普通のOLから、結婚をきっかけに仏教に興味を抱きお坊さんになりました。 ...
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個別の事象それぞれに判断を

私たちが頭で創作する概念、名称・ラベリングは、実体の無い仮の分別にすぎません。
男・女、人間・動物なども仮の概念であり、実際は一人ひとり違います。
だから、性別という「概念」の型にはめる必要はありません。
たとえば、私の子供はボールやダーツを投げるのは左手なのにバドミントンのラケットは右手です。
右利き・左利きというラベルには当てはまらない子供です。
ただ、日常生活において、お箸はどちら、鉛筆はどちら、ボールはどちらと、個別の事象において使いやすい手を判断する必要はあります。
あなたも、趣味、ファッション、恋愛、言葉遣いなど、個別の事象それぞれに判断すれば良いだけで、統一した名称・カテゴライズに拘る必要はないと思います。
ただし、周囲の人はわかりやしいラベルが楽なのでわかりやすさを要求してくる可能性はあります。
周囲の人への配慮として、きめ細やかな説明の手間をかけることは必要かもしれません。
怠けの煩悩は誰にでもありますから、他人は分かりやすさを求めるし、あなたは説明が面倒くさいとは思います。
また、プライドの煩悩は誰にでもあるので、お互いに自分の価値観や自分自身の価値を守りたがるのも仕方ない部分がありますね。
人生はこれから。
一つ一つの事象をその都度乗り越え、レベルアップしていきましょう。
複雑な世界を複雑なままに受け入れましょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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