自分の性格が招いたセックスレスについて
誰に相談できず苦しいです。
私はあまのじゃくな性格で、相手が正しいことを言っているとわかっても、私が正しいとしてしまいます。また、些細な勘違いをちょくちょくし、その度に口論になります。
ただし、これは身内に限ったことで、友人や職場の方には上記のようなことはしません。
(もしかしたら気づいてないだけで無意識に失礼をしているかもしれませんが、、)
この性格のせいで結婚してすぐにセックスレスになりました。私が無理言って子供を授かることができ、夫には感謝してます。
夫は機能不全です。私の性格のせいだと言われました。口論のたびに言われます。
私も、自分がいけない、このままではダメだと思います。しかし、性格を治し、夫の理想とする女性になる術がわかりません。
私は夫を愛してます。これは本人にはうまく言えてませんが、本当に感謝しているし、一緒にいて楽しい、嬉しい、家族っていいなと思わせてくれました。
レスのことは考えなければ、夫は私にとって、そして子供にとっても素晴らしい人です。
私の性格のせいで、小さなことでケンカをし、レスになり、夫は私を女性としては見られないと。
言われて、もっともだと思いつつ、欲は消えず、誰に相談もできず、4年が経ちます。
性格を治したい、穏やかに家族で過ごしたい。
セックスレスの話をせず、たわいもない会話、趣味の話を夫婦、家族でするときには、ほんとに楽しく、夫も穏やかに話してくれます。
セックスレスの言葉を出すと、険悪な雰囲気になり、声色も恐ろしく、それ以上話すなよ、と言っているようで、真剣に、解決策を2人で見つけましょうとはなりません。
そもそもの原因が私にあるのだから、怒るのは当然なのですが、、
できることならばレスについて考えたくない、頭から消して生活したい。
自分がどうあるべきなのかわかりません。
脈略のない文章で失礼しました、お叱り、助言など頂けますと救われます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「セックスレス」は本質的問題に道筋がついてから
こんにちは。
あなたは、ご自身のことを「あまのじゃくな性格」と言っています。
「あまのじゃく」とは「何でもわざと人にさからった行動をする人」という意味です。ただ、私の勝手に感じる言葉のニュアンスからして、「あまのじゃく」は他者が他者を評してその欠点を大目に見ると言うか、どこか憎めなくて許容しているという言葉の印象があります。
まあ、しょうがないな、負けん気の強い勝手な性格だけど許してあげようという表現が「あまのじゃく」だと感じます。
このため、あなたがあなた自身を評して「あまのじゃく」というのは違和感があります。自分で自分のことを許容している、という不自然さがあるからです。ご主人があなたを評している言葉ではなく、あなたが評しているその言葉に。
ご主人からは「口論のたび」にあなたの「性格のせい」で「機能不全」になったと言われている。ご主人にも、あなたにも原因ははっきり分かっているのでしょう。それは、「あまのじゃく」というよりも、自分の都合の意のままにしたい、意に沿わなければ「口論」するという、自己中心性、煩悩そのものと言ったほうが正確だと思います。
「結婚してすぐにセックスレスに」なったにもかかわらず、「無理言って子供を授かることができ」ということは、ご主人がこの時点で非常に無理をしてあなたに合わせていることが伺えます。それは、自分の心を抑えつけて身体をあなたの要望に合わせるという、少なからず不本意な行動をやむを得ずした、ということだと思います。その段階ですでに、あなたはご主人の心より、自分の心の都合を優先させたのです。
表題に「セックスレス」を挙げていますが、問題の本質はその肉体的関係にないと思います。本質的にあなたの煩悩の問題です。
ご縁のある宗旨、或いは本(伝統宗派)からでもいいですから、仏教に一度触れてみてはと思います。じっくり腰を据えて、自分の煩悩と向きあう。「セックスレス」は、その本質的問題に道筋がついてからだと思います。
質問者からのお礼
お忙しいところ回答いただきありがとうございます。
確かに、自分で自分をあまのじゃくと呼ぶのは違和感ありますね、
まさにお答え頂いた通り、私は相手を自分の意のままにしたくて口論をしていたのだと気付きました。相手の意思などお構いなしに。
セックスレス、夫婦関係について夫と話ました。夫は優しい人です。私の考えをしっかり聞いてくれていました。その上で、夫婦での目標と、お互いどうしたいのかを話せました。
夫の優しさに甘えていた自分が恥ずかしいです。
相手の意思を尊重する、そんな基本的なこともできずにひとりで悩み、疲れていました。今回お悩みを相談でき、楽になりました。ありがとうございました。