夫との関係を修復したいのですが。
主人は、結婚して一緒に暮らし始める前は、なにも言わないいつも穏やかな人でした。一緒に暮らし始めると急変し、怒鳴るようになりました。『あのとき殴ろうかと思った』『殺したいと思った』と繰り返し言われました。襖を蹴破り、『俺の力はこんなもんじゃないぞ、こんなもんじゃない。椅子のひとつやふたつ投げられる』『地獄を見せてやる』『本当に悪いと思うなら土下座し続けろ』そして、『殺したいっていうのは比喩よ。実際に殺したりはしない。けど、胸ぐらくらいは掴むけどね』とも言っていました。そして夫は離婚を望んでいました。
その後、夫とは別居していますが、3ヶ月後、好きな気持ちがあるから戻りたいとの話がありました。子供がいます。子供にとって父親の存在がどれだけ大きいかを考えると私も戻りたいです。でも、恐くて戻れない自分がいます。
殺したいと思った程憎んでいた人とやっぱり好きだから一緒にいたいというのはあるのでしょうか。もう一度信じてみることはしてみてもいいことなのか悩み、子どもに恐い思いをさせるわけにはいかないので迷っています。
夫婦の問題は夫婦でとことん話し合い解決するのが一番なのでしょうが、話し合いを設けるにも恐さがあります。話し合いをしても真意のわからない返事がきます。その中に気になる言葉もありました。『今起きている現象や行動…』襖を蹴破ったり暴言のことを言っているのですが、それを現象というのです。
これが他人事であれば、恐怖をぬぐいされないのであれば離婚を選ぶしかないと思いますが、自分の問題となると、子どものことを考えると両親が努力して幸せな家庭を築くべきなのではないかと思うのです。努力もせずに離婚を選ぶのは子供に申し訳ないと思うのです。子ども中心の考え、子ども優先の生活、子どもが幼いのでコロナに対して神経質になっていたなど、夫には面白くない自分は大切にされていないと思うところがあっただろうと、夫への気遣いが足りなかった所もあったのだと反省しています。私が変わらなければ戻ることはできないと思っています。
どうすればいいのかわからないまま時間だけが過ぎていきます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今後のご主人を見極める
こんにちは。
「子どものことを考えると両親が努力して幸せな家庭を築くべき」というのは、確かにその通りです。しかし、「べき」という理想、「努力」という理想と現実があまりに乖離しすぎるのは宜しくないと思います。
私は、「比喩」であっても「殺したい」という言葉は怖くて発せられません。
その言葉とその言葉が意味する行動を、ましてや身内に向けるなどということは想像するだに恐ろしいからです。
ご主人は、結婚前は「穏やか」に見えた。
「なにも言わない」から余計にそう見たのではないでしょうか。
しかし、いざ結婚生活が始まると「急変し、怒鳴るようになり」、殴る、殺すなどのを「繰り返し言」うようになった。ご主人は、「離婚を望んでい」るという主旨のことを述べており、別居するようになった。しかし、「3ヶ月後、好きな気持ちがあるから戻りたい」と言うようになった。
これは、もう爆発期、ハネムーン期を繰り返す典型的な様態ではないでしょうか。精神的には直接に、身体的には間接的に(襖を壊すなどの示威行為)DVといって全く差し支えないと思います。
これは、「夫婦の問題は夫婦でとことん話し合い解決するのが一番」という理想では既に対処できない問題になっていると思います。既に力関係が大きく開いた二者間が、家庭という密室に於いて対等に「話し合い」ができるとは思えません。「解決」があるとすれば、それはどこまでもご主人の支配下における、ご主人の気のむくままDVをしてよいというルールの確定、という意味での「解決」になってしまうでしょう。
また、子供さんは基本的に幼いうちほどご両親のことが大好きです。
父親の存在はその意味で大きいでしょう。
しかし、小さいうちから暴言、暴力の中であなたが悲しむ姿を見ることは、父親の存在の有無の何十倍もの精神的ダメージ、発達への影響が懸念されます。
離婚したほうが良いとも思いますが、もしご主人が自主的に(←ここが重要)心療内科にかかることを申し出るようでしたら、その姿勢の有無によって今後を考えてみてはいかがでしょう。
「好きな気持ちがあるから戻りたい」というだけでは、今までの再現になるだけです。あくまで、自分の異常性に気づき、自分を変えたいという積極的意志と継続をみてから、です。通院、治療を勝手に途中でやめたりするようでしたら、その時は見切ったほうが良いと思います。
質問者からのお礼
釋 悠水様
目に留めてくださり、ご回答いただき、こころから感謝致します。ありがとうございます。
どこか期待していた、理想を求めていた気持ちがありました。苦しいですが現実と向き合うときが来たのだと、一言一言大事に読ませていただきました。
どう思われるか、何を言われるか恐くて行動できないでいましたが、自分の本心を素直に伝える勇気をいただきました。これを機に勇気を出して行動してみようと思います。ありがとうございました。