今の自分が生きている意味がわからない
数ヶ月前に恋人と別れたのをきっかけにプツリと糸が切れて生きる意味が分からずに引きこもってます。
別れたことに後悔はなく、今はただただ自分が何もできない人間なんだと思い生きている意味がわからないままただ過ぎる時間に絶望感を感じています。
バリバリ仕事をしたり、子育てしたり、周りの友人や知り合いがこなしていることが自分には何一つできない。そんな自分に嫌気がさしてしんどいです。何度も死んだほうが楽だなと思ってきました。
今は家族の元で守られて生活してますが、今後1人で生きていく自信がありません。
何も続かない、何もできない私がこの先生きていく意味はどこにあるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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出来ることから始めませんか
こんにちは。
現在、「引きこもって」いる状態なのですね。
そういう時には、「バリバリ仕事をしたり、子育てしたり」という自分の現実と離れたことに目を向けるより、現在の自分にできること、出来ないことは何かに注目しませんか。遠くを見るのではなく、足元に注意を向けるのです。灯台下暗し、ともいいますし。
羨望の眼差しで周囲を見れば見るほど、「自分に嫌気がさしてしんどい」の反復を繰り返すことになります。その度に、あなたは自己嫌悪を深めるとともに、生きる気力を削ぎ落としていってしまいます。すぐには無理かもしれませんが、そういった視点自体の繰り返しが始まったと気づいたら、なるべく別のことに注意を向ける習慣づけがお勧めです。
今、あなたは自信を喪失してしまって、「何一つできない」、「何も続かない」、「何もできない」と思ってしまっているのでしょう。そういう時は、誰しもあります。
私は、人間が生きるとは、或いは生きる意味とは言葉や概念で説明するよりも、先ずは自分の現実から一つづつ積み重ねる実感を以て体得していくべきものだと思っています。
あなたが自分の身の回りのことで出来ることは何でしょうか。
例えば、いつも決まった時間に起きる、これも思いたてば出来ることだと思います。或いは、少し散歩に出てみる、花に水をやるということもあります。洗い物を手伝ったり、掃除を手伝ってくれれば、ご家族は喜ぶのではないでしょうか。
そんな時、有難うと言われ嬉しくなる。
水をあげた花が綺麗に咲いてくれる。
散歩で清々しい朝の空気に触れられた。
人生とは、高邁な言葉で以て語る部分もあるでしょうが、先ずは生きている実感、生きているからこそ出会える人、風景を素晴らしいと思うその実感こそが今のあなたには必要ではないかと思います。
出来ないことは出来ないでいいのです。
それを後ろめたく思う必要はありません。
出来ることから始めませんか。
始める心が起きた時、あなたは既に生きている意味に出会っています。