失恋から立ち直れない回答受付中
先日。大好きだった相手と別れました。理由は私が人として非常に未熟だったからです。別れる前の1ヶ月ほどは喧嘩やすれ違いなど多かったです。私が相手を言葉足らずで勘違いさせて怒らせてしまい、その謝罪が自分勝手で軽いものになってしまったことが決定打でした。その日から連絡はないものの、心のどこかでは時間を空けてしっかり謝罪をすれば大丈夫だと楽観視していました。数週間後、LINEがブロックされていることに気づき、慌ててインスタのdmを送りました。相手はすでに別れているという認識だったみたいで、今更話すことはないと言う状態でした。そこで自分の存在はその程度だったと絶望し、お別れをしました。
あの時なぜこうしなかったのか、そう後悔する時すでに相手は隣にいません。立ち直れる気もしません。とても苦しいです。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご相談ありがとうございます。
今あなたが感じておられる深い喪失感、それは、心から人を愛し、大切に思っていたからこそ生まれたものです。
簡単に癒えるはずがありません。失恋の痛みは、理屈では割り切れないものですし、「気持ちを切り替えよう」と思ってすぐにできるようなものでもありません。
けれど、仏教ではこう説かれます。「この世界の本質は、出会いと別れの連続である」と。
どれほど愛する人とも、いつかは別れなければならない。それがこの現実世界の厳しくも真実な姿、「無常(むじょう)」なのです。
私たちの人生は、どれだけ願っても、すべての縁が永遠ではありません。縁には「寿命」があります。
ですが、その縁が終わったからといって、すべてが無駄になるわけではないのです。
今、あなたの心にある後悔や悲しみ、反省それはすべて、次のあなたの人生を豊かにしてくれる“成長の種”になり得ます。
この恋愛を通して学んだこと、見つめ直した自分の未熟さや思いやりの足りなさ、その一つひとつを心に刻みながら、「次はどう人と関わっていくか」「自分自身をどう整えていくか」に向き合うことができたとき、この別れは“終わり”ではなく、“転機”となります。
そして、そうやってあなたが心を磨き続けたなら、もしかすると歳月を経て、別れた彼女と再び縁がつながる日が来る可能性も、決してゼロではないでしょう。
仏教では「縁起(えんぎ)」といって、縁は絶えず変化し、流れ続けるものと考えます。
だから未来は、今ここでどう生きるかで大きく変わっていくのです。
どうか、この失恋を“終わり”としてだけでなく、あなたの成長の入口として受け止めてみてください。
そして、今の痛みがすぐに癒えなくても大丈夫。泣きながらでも、一歩ずつでいいんです。その歩みが、必ずあなたの人生を深く、やさしく育ててくれます。
あなたのこれからに、あたたかいご縁が訪れることを、心より願っています。