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失恋から立ち直れない

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先日。大好きだった相手と別れました。理由は私が人として非常に未熟だったからです。別れる前の1ヶ月ほどは喧嘩やすれ違いなど多かったです。私が相手を言葉足らずで勘違いさせて怒らせてしまい、その謝罪が自分勝手で軽いものになってしまったことが決定打でした。その日から連絡はないものの、心のどこかでは時間を空けてしっかり謝罪をすれば大丈夫だと楽観視していました。数週間後、LINEがブロックされていることに気づき、慌ててインスタのdmを送りました。相手はすでに別れているという認識だったみたいで、今更話すことはないと言う状態でした。そこで自分の存在はその程度だったと絶望し、お別れをしました。
あの時なぜこうしなかったのか、そう後悔する時すでに相手は隣にいません。立ち直れる気もしません。とても苦しいです。

2025年5月19日 17:27

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

拝読させて頂きました。
あなたが失恋してとてもショックを受け悲しみにくれているのですね。そして自分の考えや行動をとても後悔しているのですね。詳細なあなたやその人のことはわからないですけれども、あなたの辛いお気持ち心よりお察しします。
あなたがその失恋から立ち直れないこととてもわかるように感じます。失ってみて初めて相手の存在の大切さや自分の考えの甘さや浅はかさや自分のしたことや態度の愚かさが身に染みてわかりますからね。
そうなって初めて気づくのですよね。
その人がどう考えて今どうなさっているのかわからないですが、あなたがおっしゃるようにもう既にあなたとのご縁を離れて気持ちを切り替えていらっしゃるのかと思います。
本当に辛いでしょうけれども、先ずはしばらく穏やかに一日一日を過ごしていくことにしましょう。
少しずつ時間が過ぎていく中であなた自身の気持ちも変わっていくでしょうし、改めて人とのご縁を見つめ直す大切な時間となるでしょうからね。
あなたがこれからも人とのご縁を大切になさり、皆さんと健やかに幸せを分かち合いながら生きることできます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。

2025年5月20日 4:32
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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

ご相談ありがとうございます。

今あなたが感じておられる深い喪失感、それは、心から人を愛し、大切に思っていたからこそ生まれたものです。

簡単に癒えるはずがありません。失恋の痛みは、理屈では割り切れないものですし、「気持ちを切り替えよう」と思ってすぐにできるようなものでもありません。

けれど、仏教ではこう説かれます。「この世界の本質は、出会いと別れの連続である」と。

どれほど愛する人とも、いつかは別れなければならない。それがこの現実世界の厳しくも真実な姿、「無常(むじょう)」なのです。

私たちの人生は、どれだけ願っても、すべての縁が永遠ではありません。縁には「寿命」があります。

ですが、その縁が終わったからといって、すべてが無駄になるわけではないのです。

今、あなたの心にある後悔や悲しみ、反省それはすべて、次のあなたの人生を豊かにしてくれる“成長の種”になり得ます。

この恋愛を通して学んだこと、見つめ直した自分の未熟さや思いやりの足りなさ、その一つひとつを心に刻みながら、「次はどう人と関わっていくか」「自分自身をどう整えていくか」に向き合うことができたとき、この別れは“終わり”ではなく、“転機”となります。

そして、そうやってあなたが心を磨き続けたなら、もしかすると歳月を経て、別れた彼女と再び縁がつながる日が来る可能性も、決してゼロではないでしょう。

仏教では「縁起(えんぎ)」といって、縁は絶えず変化し、流れ続けるものと考えます。
だから未来は、今ここでどう生きるかで大きく変わっていくのです。

どうか、この失恋を“終わり”としてだけでなく、あなたの成長の入口として受け止めてみてください。

そして、今の痛みがすぐに癒えなくても大丈夫。泣きながらでも、一歩ずつでいいんです。その歩みが、必ずあなたの人生を深く、やさしく育ててくれます。

あなたのこれからに、あたたかいご縁が訪れることを、心より願っています。

2025年5月19日 20:34
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おきもち

広島の山あいで、今日も「なんまんだぶつ」とつぶやいています。 浄土真宗本願寺派の僧侶、ケンコウと申します。 日々の中には、言葉にならない思いや、誰にも言えないもやもやがあるものです。 そんな時こそ、仏さまの教えが、ふっと心に灯りをともしてくれることがあります。 この「はすのは」では、あなたの声に耳を傾けながら、一緒に“いま”を見つめ直す時間をつくっていきたいと思っています。 堅苦しくなく、あたたかく、時にゆるく。 どうぞ、あなたのお話、聞かせてくださいね。

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