焼きもちを焼かないようになりたい
以前付き合っていた方がいて
すごく、お別れした今でも好きでSNSをつい見てしまいます、
そのたび、当たり前ではありますが、たのしそうにしてる所を目にして落ち込んでしまうんです。
友達と仲良く過ごしてるところ、プレゼントをもらったこと、
わたしができなかったことが含まれていると、すごく辛く感じて自分が、いやになります。
好きな気持ちはそのままに
見ても、よかったね、と素直な気持ちで受け入れられるようになりたいです。
どうすればよいのでしょうか、
付き合ってる人に対して完全に信じてあげることができない、自分に自信がないせいか、焼きもちや、ほんとうに自分が好きなのか?と疑ってしまう
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
元恋人の幸せを素直に受け止められる心の作り方
あなたが感じている苦しさは、仏教でいう「比較心」と「執着心」が結びついた状態です。
相手の楽しそうな姿や、他の人から受けている愛情を見たときに、自分と比べてしまう心が働きます。そして「自分ができなかったこと」という思いが、心をさらに締め付けてしまうのです。
1. 苦しみの正体を知る
執着:仏教では「手放したいのに心が離れない状態」をこう呼びます。相手が今どうしているかを見てしまうたび、執着の糸が再び強く結び直されます。
嫉妬と比較心:他者の幸せを見たとき、「自分が与えられなかった」と感じてしまうのは自然な心の動きですが、これが繰り返されると苦しみが増幅します。
2. 見ない選択を自分に許す
「見ても平気になる」前に、まずは「見ない環境を整える」ことが修行の第一歩です。
・SNSのミュートや非表示設定を活用する
・期間を区切って(例:1か月)SNS断ちを試す
これは逃げではなく、仏教でいう「遠離(おんり)」の実践です。毒のある場所から距離を置くのは心を守る智慧です。
3. 「喜びの瞑想」で心を慣らす
仏教には随喜(ずいき)という修行があります。これは「他人の幸せを自分の喜びとして受け入れる」心の訓練です。
・相手の笑顔や幸せそうな瞬間を見たら、「よかったね」と心の中で唱える
・同時に「私も私の場所で幸せを育てている」と自分にも言葉をかける
最初は気持ちが追いつかなくても、繰り返すうちに心が少しずつやわらぎます。
4. 自分の幸せの種をまく
元恋人の世界ばかりに意識が向くと、自分の世界が狭く感じられます。
・小さな趣味や新しい場所へのお出かけ
・気の合う人との会話や、美味しい食事
これらを通して「自分の今の人生にも光がある」と体感することが、比較心を弱めます。
5. 最終的な目標
「見ても平気」になる日は、ある日突然訪れるものではなく、
・見ない時間を増やす
・喜びをシェアする練習をする
・自分の幸せを育てる
という積み重ねの中で、少しずつ近づいてきます。
あなたが苦しみを感じるのは、それだけ相手を大切に思っていた証です。
しかし、仏教では「愛もまた無常」と説かれます。形を変えても、あなたの中にあった優しさは消えません。
その優しさを、これからは自分自身にも向けてあげてください。
合掌
自らも幸せに生きていきましょう
拝読させて頂きました。
あなたは以前付き合っていた人が楽しそうにしていたり幸せそうにしているとやっかんでしまうのですね。どうしたらよかったねと思うことできるのかと悩んでいるのですね。詳細なあなたやその人のことはわからないですけれども、あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
そうですね好きな人が幸せそうに生きていたらよかったねと祝福してあげたいですよね。
そのような仏様の心を持ちたいですね。
なかなか直ぐにはそう思えないかもしれませんが、少しずつそう思えるように努力なさってみてはいかがでしょうか。
そうしていけばあなた自身も幸せな気持ちで心豊かに毎日を生きることできます。
できればあなた自身も自分が幸せに生きることを目指していきましょう。
あなたはこれから様々な巡り合わせがあるでしょうし、あなたにとって幸せをもたらす方々との出会いもあるでしょう、そして大切な方と一緒に楽しく幸せに生きることできるでしょうからね。
あなたが本当に素晴らしいご縁に恵まれて心から幸せに毎日を生きて、皆さんの幸せも祝福なさりながら豊かな人生を生きることできますよう切に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。