自分とは
友達がいません。友達が欲しいとは思いますが,話したり,遊んだりするのはとても疲れてしまい,自分から進んで声をかけることができません。
ちょっとした発言を後悔して,辛くなって,私が生きている意味がわからなくなります。
なぜ,生きているのか。生きていて意味があるのか全くわかりません。
漠然とした生きていくことへの恐怖と,疲労感があります。
言葉にするのが難しいこの辛さが何なのか,自分でもよくわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人は上手くやるために生きているのではない。
発言を後悔して辛くなって、なんの為に生きているのかわからなくなる。そして、なぜ生きているのかわからない。生きていくことへの恐怖と疲労感があり、この辛さの正体が何かわからないと感じているのですね。
こういうと、身も蓋もないと思うかもしれないのですが、あなたのような問いがまさに仏教が課題にしてきたことなんです。お釈迦様は「生まれてきたこと自体が苦(地獄)なんだ」と言っています。私たちの生は二つの意味で根本的に地獄です。一つは何のために生まれてきたのか全くわからないということ。つまり、何を願って生きているのか、何を願って生きていったらいいのか全く分からない。目先の目標は希望を持つことはできます。でも、それだっていつか崩れる性質のものです。例えば、子供がほしいと願っている夫婦がいるとする。しかし、せっかく子供が産まれても事故などで死んでしまうことだってあるのです。なぜそうなっているのか?と言われても、そういう縁であったとしか言えないのです。もう一つは、私たちが基本的に業縁存在でしかないという点です。(縁によってどんなことがあるかわならない存在だということです)生きたくても、事故や災害で明日死ぬこともあります。死にたくても生きなくてはいけないこともある。どうしてこんな性格や見た目に生まれたのか?なぜこの家庭に生まれたのか、全く分からないのです。その意味で、人間は皆が根本的には、皆不安を抱え、孤独で、たった一人で死んでいかなくてはならないという地獄を抱えて生まれてくるのです。器用な人は、それを誤魔化して、目先の目標や楽しみを見出して生きていけます。でも、私には無理でした。だから、必死に悩んで、同じように必死に悩んだ人の話を聞いて、仏教に巡り合いました。仏教は、何かを一気に解決するような教えではない。だけど、人間の悲しみや絶望や、あなたのいう疲労感を否定しません。最初から、人間を苦しみを抱え生きざるを得ないものと見てきます。この相談で全てを伝えることはできませんが、なんだかわからないけれども虚しい、疲れるという苦しみこそが、仏教がずっと問題にしてきた苦そのものであると伝えたいです。そして、あなたがそう感じているそこに、何か尊いものがあるし、大切だと私は思うのです。あなたの辛さをまた、私も抱えています。できれば、少しずつあなたの言葉を聞かせてほしいです。ともに悩むことはできます
あなたのことをいつもお待ちしております
拝読させて頂きました。あなたが今とても疲れてしまい生きることがとても辛くお感じなさっておられることを読ませて頂きました。
今まであなたがどのように育ちどんな風に生きてきたのか、今どう思っているのか詳細にはわかりませんけれどもあなたが生きることの意味や目的についてお悩みなさっていらっしゃることはわかります。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
もし宜しければあなたのその言葉にならないつらい思いをゆっくりでいいのでここでもお話なさってみて下さいますか?あなたが心の中で抱えている思いをゆっくりここで教えて下さい。その中ではあなただけが抱える問題や疑問ではなくみんなが思っていることもきっとあると思います。あなただけで考えるのではなくてみんなで思いを話して聞きながら少しずつきっかけになることや糸口を見つけていきましょう。
今あなたはここで私達ともつながっています、そして同じように悩みを抱えている方々ともこの場を共有しながら思いを分かち合おうとしています。
私達は誰もが未熟なものですからお互いに尊重し合い助け合いながら生きています。そしてそれぞれに大切な存在です。
あなたも沢山の方とのつながりの中で大切な存在ですからね。
あなたの心の中に渦巻く不安や恐怖や疲労感をどうかおもいつくままにお話しできる範囲でお話なさって下さいね。あなたのことをここでもいつもお待ちしておりますね。