「死なないでほしい」と思ってもいいのか
初めて相談させて頂きます。
祖母がコロナで亡くなりました。
みんなから好かれていて、とても良い人でした。
死ぬことは悪いことではないと、頭ではわかっています。良い人ほど早く亡くなるという話もよく聞くし、個人的にもそう思います。
しかし、やっぱり死なないでほしかったです。まだ一緒にいたかったです。
このように思うことは悪いことなのでしょうか?私のわがままでしょうか?
また遺族がきちんと死を受け入れられないと、祖母に悪い影響が出てしまうのでしょうか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「死なないでほしい」と思うのは、愛されたから
こんにちは。
先ずはお悔やみ申し上げます。
「コロナ」罹患ですから、最期に会うこともままならなかったのでしょう。
それだけに、おばあちゃんを想う心は切なく苦しいものとしてあなたの胸を締め付けるのでしょう。無理もありません。ご心中お察しします。
「死なないでほしいと思ってもいい」、と思います。
「悪いこと」でも、「わがまま」でもありません。
人間の素直な感情ですから、これに無理やり蓋をする必要は全く無いのです。
「みんなから好かれていて、とても良い人」だったのですね。ご人徳のある、人望のある方だったのでしょう。それは、その人の生きてきた歴史がそう思わせたのです。むしろ、死を惜しまれるほどの人、と故人を顕彰する一つの要素なのだと思います。
「まだ一緒にいたかった」のですね。
おばあちゃんと一緒にいる時間が、あなたには幸福に満たされたひと時だったのでしょう。そういう人と巡り会えてよかったですね。幸福ってこういうものなんだということが分かる、それは幸福そのものを味わえたからこそです。
「遺族がきちんと死を受け入れられないと、祖母に悪い影響が出てしまうのでしょうか」とあります。あなたの宗教、宗旨がわからないので、この点はお葬儀を受け持たれる聖職者に直接尋ねるほうが確実でしょう。
ただ、私(浄土真宗)の立場から言えば、「遺族」の心の持ちよう次第で故人の行く末に「悪い影響」があるとは考えません。人間の側がどう思おうとも、阿弥陀如来様は必ず極楽へ連れゆくまかせよと仰っているのだから。その観点から言えば、故人は極楽から仏教の教えを聞いておくれよと願っている、そう捉えます。
悲しいのも、「死なないでほしい」と思うのも、愛されたからです。
そして、あなたも愛したからです。
限りある命を惜しみながら、心のなかに確かに残る思い出と愛情をこれからも大切にしていってください。
お大事に。
質問者からのお礼
釋 悠水 様
回答してくださりありがとうございます。
最近、どこまでが願いでどこまでが自分の身勝手なわがままなのか、線引きができなくなっていました。
気持ちに蓋をする必要がないと聞いて安心しました。
「死なないでほしいと思ってもいい」、「むしろ故人を顕彰する要素」、「愛されたから」、これらの言葉にとても救われました。
祖母に出会えたことを感謝し、祖母のような人間になれるよう志したいと思います。
ありがとうございました。