カーテンの外側の花束
先日母親が亡くなったことについて質問させていただきました。
気持ちが少し軽くなり感謝しております。
少し気になることがあり質問させていただきます。
母が亡くなっていた実家はマンションの4階なのですが、ベランダに出て道路を挟んでちょうど目線の位置に戸建ての住宅の3階部分があります。
母が亡くなってから気づいたのですがその向かいの住宅の3階部分の窓に花束がこちらの部屋に向けるように置かれているのです。
母の生前、実家に帰っていたときも向かいの住宅はリビングからよく見えていたのですが花束はありませんでした。
実家に遺品整理で度々帰っていますが今も花束は置かれています。
向かいの住人の方とは母も直接面識はなかったはずですが、母が発見されたときに警察や消防が多数来て騒ぎのようになっていたからか近所の人伝いに聞かれたのかはわからないのですがこの花束は母に手向けていただいているのでしょうか。
部屋のカーテンの外側にこちらの部屋に向けるように花束が置かれていて日を当てるにしても普通なら花瓶に移し替えて育てたりで、カーテンの外側に花束を置かないのではと思うので少し不思議に感じています。
本当に偶然カーテンの外に置かれているだけかもですがもし母に手向けていただいているとしたら感謝しかないのですが確認とお礼をすべきでしょうか。
ご回答をよろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 2件
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こんにちは。お悔やみを申し上げます。
お母様が亡くなったお部屋の向かい合わせのおうちに、こちら向きにお花が飾られている、お母様に手向けられたものかもしれないので、お礼をした方がよいか、というご質問です。
「向かいの住人の方と母とは直接面識はなかったはず」とありますが、ご近所ですしあなたさまの知らない所で何らかの知人であった可能性もありますね。
もしあなたの想像通り、そのお花がお母様に手向けられたものであれば、お礼をして生前の思い出話などを聞かせてもらえるかもしれませんが、もし、そうでなかった場合、あなたさまから唐突に話しかけられ、相手の方は戸惑ってしまうと思います。
どちらにしても、あなたさまに向けられたお花ではないと思いますので、そのままで良いと思います。お母様に手向けられたものであれば、そのお宅の方から話しかけてもらえる事があるかもしれませんね。
わからないものはわからない(無記)
花瓶にも入れずに花束を窓から外向きに置くのは、たしかに不思議ですね。
造花でも、ドライフラワーでもないんでしょうか。
お仕事によってはお花を他人から頻繁にもらう職種もあるでしょうから、置き場に困ってなんとなくそこに置いている可能性もあります。
カーテンを花粉で汚さないために窓向きに置いているとか。
ご近所さんですから、お母様と顔見知りだった可能性はあるでしょうけど、花束を手向け続けるほどの仲だったかはわかりませんよね。
また、お母様と同じマンションに別の知人がいるとか、道を通る知人に何らかのサインを出しているのかもしれないし。
いずれにせよ、判断材料となる情報が無いので「わからないものはわからない」とあきらめるしかないですね。
お釈迦様(ブッダ)がある人から形而上学的な質問(例えば、世間は永遠なのかどうか等)をされたときに、沈黙で答えたという逸話があります。
これを「無記(むき)」と言います。
判断材料がなく答えようが無いこと、しかも悟り(悩み苦しみからの解脱)に必要がないテーマについては、答えることもできないし考える必要もないというのが、お釈迦様からの無言の説法だったのかもしれません。
この花束の問題も情報がないので「無記」ですね。
不可思議(思議することができない)でもあります。
相手とお話する機会があれば良いのですが。
質問者からのお礼
願誉浄史 様
お礼のお返事が大変遅くなり申し訳ございません。
ご回答いただきありがとうございます。
造花やドライフラワーには見えませんでしたが花束が置かれていた理由はいろいろ考えられるかと思います。
「無記」という言葉を初めて知りました。
おっしゃる通りわからないものはわからないと思います。
少しでもご挨拶した方であればお話を聞けるのですが生憎経験がないためそれも叶いません。
不思議な体験ではありますがもし母に手向けていただいていたのであれば心の中で感謝のお気持ちを伝えておこうと思います。
ありがとうございました。
光禪 様
お礼のお返事が大変遅くなり申し訳ございません。
ご回答いただきありがとうございました。
ご挨拶をしたことがないため実際にお尋ねすることは叶わないのですがもし母に手向けていただいていたのなら心の中で感謝をお伝えしておこうと思います。
これも偶然かもしれませんが母の四十九日法要を終えた途端に花束はなくなっていました。
真実はわかりませんが不思議な体験でした。
ありがとうございました。