今すぐ孝行したい、失う前に変わるには
去年11月に母が亡くなりました。
昼間に亡くなった時私は寝ていて、気づいたのは翌日の昼。
救急を呼べても、助からなかっただろうと担当医から聞き、そこは整理できました。
しかし「死ぬかも知れないと思ったら怖かった」と母が。最後側にいてあげれなかった事を後悔しています。
床は綺麗なのに、空っぽに見えた重いゴミ箱と真っ赤に染まったいくつものタオル。壊れたままのスマホ。
助けを呼んでたかと思うと。
どれだけ、いくつ後悔しても、母はいません。
だから、後悔しないように、今いる人に孝行したいのですが、できず、自己嫌悪です。
皆、時間が解決してくれると。
しかし鬱を焦らないようゆっくりと治療しようと6〜8年。
母は、普通の母親が味わえる幸せを知らないまま。
父や友人は、時間はありそう、だと思えます。
しかし大叔母(母の育て親)は90歳です。元気に歩いていますが、十分な時間があるとは思えません。
今動かないと母の二の舞になると。だから少しでも孝行したいはずのに、体調を予測できず、興味も制御できず、計画性もなく、したいはずなのに出来てない。
それらを解決には、まず何が必要なのは分かっています。
でも母が「娘(私)が死んだら私(母)も死ぬ」というから、私は頑張って生きていこうと思えてたのですが。居ないなら。
見守っていると言われても、そのための身体を無くしてどうやって?もしそうなら私の現状を見て悲しませているだろうと。
今日墓参りしてきましたが、ただ母を構成していた物が保管されているとしか。大事ですが話しかけている大叔母を見て、伝わると私は思えませんでした。
身近な人は「いつか〇〇しないとね」と。それが「変わらないなら要らない」と言っているように聞こえるのです。違うと理解してれど。
「今の私」が不要で、変わる気がないなら、私は、私も要らないと思うのです。
でも、それだと孝行できないので、今変わりたいんですけど、変われてないんです。
今もこれを書いてる時間があるなら、すればいいのに。
今すぐ変えれず、後悔するなら、今後どうなろうと、要らないと思うのです。
でもそれはダメだから、行動しないといけないのに、するべき行動が、ひどく億劫で。
ずっとぐるぐると矛盾の堂々巡りで。
酷く自分本位で。醜くて。
毎回考えて疲れて、寝て起きて、目に入った何かに思考がいって、変わらない。
お坊さんからの回答 1件
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あなたの存在が、すでに親孝行であり、お母さまの支えだった。
お母さまのご往生 お寂しくなりますね。
身近な人、大切な人に、出来ることをしたい。そう思っていても、みんな「自分」を生きていくことに精一杯であり、何をどのようにすればいいのか、孝行ってどうすれば相手に届くのか。難しいものですよね。
プロフィールも読ませてもらいました。あなたも頑張って生きてこられたのですよね。お母さまと一緒に過ごされた時間が長かったからこそ、(私がそばにいたのに。もっと出来ることをしてあげたかった)と後悔は尽きませんよね。
お母さんの姿、異変に気づかれた光景を、今でも忘れられないのではありませんか。それが余計に苦しくて、お母さんにごめんねと申し訳なく思ってしまうのではないでしょうか。
私も親ですので、お母さまのお気持ちを想いますと、子どもがそばにいてくれたこと、一緒に生きてこられたこと、何よりも幸せだったと思います。あなたの存在が、すでに親孝行であり、お母さまの支えだったのですよ。
どうぞ、プレッシャーに思わずに、ご自身を大切に。気持ちに余裕がある時に、周りに目を向けたり、いつもありがとうね〜と声をかけ笑顔を向けることが、周りをホッと安心させることになりますよ。
あなたが、周りと繋がりながら、生きる術をつけること。それがお母さまが安心してくださることのように思います。
これからもずっと親子なんですもの。あなたの生き方をそばで見ていてくださいますよ。
ハスノハとも繋がっていましょう。不安な時も、寂しい時も、いつだってハスノハを頼ってくださいね。