いつも心の支えになってくださりありがとうございます。 梅雨寒の一日、庭の木の枝から雨のしずくをみていたらふと寂しくなりました。 弟が亡くなり5回目の夏がやってきます。 当初、私はパニックになり、疎遠の父との連絡の恐怖や、弟の死に向き合わねばならず夫の言わせればあの頃の私は尋常ではなかったと聞かされます。 今では恐怖を覚えていた父も他界し、恐れるものはなにもなく、日々心穏やかに過ごしています。たまにやってくる父への憎しみはどうしようもないと割り切り、その気持ちが襲ってきても仕方がないとやり過ごす術も身に付きました。 こちらでご相談させていただいたおかげです。 人は忘れながら生きていく。最近そんな風に物事を受け入れています。 何が何でもがんじがらめに覚えていても自分が苦しくなるだけで、できるだけ 忘れながら生きる。 そう、軽い足取りで生きるのも悪くないと思うのです。 身の回りのものを手放し、今まで執拗に心にしまっていた憎しみ(父とそれにまつわる人間関係)を手放し、親であっても縁が薄かったことを受け入れ、でもまだ許せないこともあるけれど、忘れながら生きていく。 5回目の夏を前にして私は心涼やかに生きていることをいつも支えてくださっているこちらの場所にご報告をいたします。 弟に会える日が来るまで、私の人生はまだまだ続く。 またいろいろな場面で迷いが出てくることもあるかもしれません。 その時はどうかよろしくお願いいたします 今日は感謝の気持ちをお伝えしたくてこちらに参りました。 いつもありがとうございます。
はじめまして。今月初めに恋人を仕事中の不慮の事故で亡くしました。 彼はまだ35歳だったため亡くなるなど考えていなくて、突然だったため今だに現実感がありません。 これからまだ一緒にやりたいことや、彼自身も目標に向かって頑張っていたため私も本当に悔しいし、彼が一番悲しくて悔しい思いをしているはずです。 亡くなった人は近くで見守ってくれると聞いたことがありますが、見守ってくれているでしょうか? 彼の分も頑張って生きなきゃと思いますが、これから明るい気持ちで生きていけるか不安です。
先週祖父を亡くしました。足は悪かったのですが、入院しているわけでもなく、何か病気というわけでもありませんでした。ですが、急性肺炎で息を引き取りました。毎日家を訪ねてくれる方がいたのですが、その方が運悪く入院しており、発見が遅れてしまいました。救急で運ばれていればまだ生きていたはずです。突然の訃報にただただ驚きました。 小さい頃から年に2回ほど祖父母の家に遊びに行ってました。祖父母の住む地域は近隣住民も親戚ばかりという小さな村で、祖父母や周りの人みんなから本当に良くしてもらってました。素の自分を出せて、自由に振る舞えて温かく歓迎される、楽しい幸せな思い出が詰まった場所でした。心の拠り所でした。しかし、数年前に祖母が亡くなり、先日祖父が亡くなり、祖父母の家は空っぽになってしまいました。離島なので簡単に行ける場所でもなく、良くしてもらった祖父母の田舎と縁が切れてしまったようで、さらに悲しくなりました。 お通夜、葬儀ともに涙が止まりませんでした。帰る時も、祖父母が見送りにおらず、少なくなった親戚に見送られて、なんだかこのまま自分の家族がいなくなってしまうんじゃないかと怖くなりました。 祖父は、人に尽くす性格で周りの人からも評判が良く、そのおかけで私も皆さんから良くしてもらっていました。そんな祖父なので、高齢にも関わらず葬儀には沢山の方が来てくださり、涙を流してくださいました。葬儀の翌日以降も、線香を焚きにきてくださり、私たち家族が沈み込まないよう、気を遣ってくださいます。そんな祖父ということもあって、私の中でも、私たち家族の中でも、大事な支柱のような人でした。祖父がいるから遠くからも親戚が集まる、そんな感じでした。これからはどうなっていくのか、親戚との繋がりも薄くなるのではないか、と悲しくてたまりません。
お坊様方には亡き親友の事で 色々温かい言葉を掛けて頂き本当に感謝しております 明日で親友が亡くなって1年になります 心は未だに寂しいままですが月日は無情にも過ぎて行きます 親友と出会って35年の日々は本当に楽しくて幸せな時間でした 親友とは小1からの出会いで名字が近く 席が前後での出会いからの始まりでした お互い学校やクラスメイトとは余り上手く馴染めなかったですが 何故か親友とだけはお互いに波長がずっと会い 35年間一度も喧嘩する事無く過ごして来ました お互い心も手先も不器用だから波長が合ったのかもしれません 私が良くこれが出来ないんだよねと落ち込んでいると 親友も私と同じように僕も出来ないんだよねと言って 笑い会ったり時には慰めあったりしていました 親友とは小中高と一緒で社会人になってからも お互いの誕生日の時は休みを取って出掛けたり 定期的に食事に行ったりして本当に楽しかったです 最後に出掛けたのは2年前の私の誕生日なのですが その時から親友は胸の痛みを訴えており入院していて 大丈夫なのかなと思ったのですが退院したのと 父を亡くした私の事を心配していたのか 自分の誕生日を祝いたいからと一緒に出掛けたのが最後でした お互い来年で40歳だなと笑いあいながら食事をし 不器用ながらも生きて来れて周りに感謝だねと言ったりしてました それから1ヶ月後に親友から✉が来て あの後も体調がすぐれなくて大きな病院で精密検査を受けたら 成人t細胞白血病と診断され1年近く入院し 一度も退院する事無く亡くなってしまいました 緩和ケアでの面会では鼻に管を繋がれ トイレすら自力で行けない弱った親友の姿を見て 運命とは残酷な物だと感じました 親友とは運良く3日間だけ面会出来ましたが 話せたのは1日だけで後は薬の影響で眠る事が多かったのですが もう会えない事が分かると寝てる姿さえ愛おしく感じました 親友の手を握りながら自分と出会えた事を宝と言ってくれて有難う 駄目な自分にずっと一緒に付いて来てくれて有難う ○○が亡くなっても自分の心の中にはずっと生きてるからねと言ったりしてました 明日で親友が亡くなって1年経ちますが あの世では苦しんでいなければ良いなと思っています お坊様方には私の大切な親友があの世では 少しでも苦痛がないよう願って欲しいなと思い 今回ご質問させて頂きました
20代のときに突然1型糖尿病を発症しました。 仕事はエンタメ業界で、深夜から早朝に及ぶ勤務が続き、今ならハラスメントとされるような環境でも、それが当たり前だと思いながら働いてきました。 30代後半になる頃から血糖コントロールが難しくなり、医師にも明確な原因は分からないと言われています。血糖の大きな変動により感情のコントロールも難しくなり、家族に当たってしまうことも増えました。 そんな中で、母が一昨年突然亡くなりました。親孝行もできないまま、さらに母が拒んでいたにもかかわらず、「このままでは命に関わる」と医師に言われたことにすがり、無理に入院させましたが、その数日後のことでした。 その後、昨年父が目の前で倒れ、現在は要介護3となっています。それでも父は体力は落ちたものの歩けるようになり、必死に生きています。 こうした状況の中で仕事上の負担も限界に達し、約20年勤めた会社を昨年末に退職し、将来を見据えて経済的にも安定できる会社へ転職することになりました。 しかし転職にあたり、前職の方から否定的なメールや対応が続きました。その方には母の葬儀費用が足りず一部をお借りした経緯もあり(すでに全額返済済み)、大きなショックでした。その影響もあり、髪の毛がすべて抜けてしまい今年に入ってからは眉毛もほぼなくなっています。 1型糖尿病の状態も安定せず、合併症の進行もあります。頭部の治療には高価な薬が必要で、糖尿病の医療費とあわせて月8万円を継続していく必要があります。会社の制度を利用できないかも含めて調べているところです。 現在は新しい会社で働き始めたばかりのため、様子を見ながら生きるために必死で過ごしていますが、正直つらいです。 一人っ子で独身ということもあり、将来への不安も感じています。 それでも、父と折半して仏壇を購入できたことや、母のお墓を無事に用意できたときは、「もう遅いかもしれないけれど、少しは親孝行になれたのではないか」と、ほんの少しだけ救われた気持ちになりました。 それでも辛くて涙が止まらない日もあります。 どうしてこんなに重なるのか、前世に何か問題があったのか、自分の生き方が周りを不幸にしてきた罰なのではないかと考えてしまいます。 子どもを育てながら頑張っている同世代の家族を見ると、胸が苦しくなります。 どうしたら、もう少し楽に生きられるようになるでしょうか。
私は昨年、祖父を転落事故で亡くしました。 私は福祉施設で働いています。 最近、利用者が横暴な態度、騒ぐ、わがままで言うことを聞かない、職員や他の利用者の悪口を言うのを見ると、何故私の祖父は事故で死に、この人達は生きているのだろうかと思うようになってしまいました。大学時代には祖母を交通事故で亡くしてしまったのもあり、その思いが強くなり、何故祖父母は事故で死にこの人達は生きてるのかと思う度にしんどく涙が溢れ、それと同時にそういう風に思う自分に嫌気がします。 理由は別ですが、転職を考えています。ただ、働いているうちは、利用者の問題行動と祖父母の死を結びつけたくありません。 どうしたら良いでしょうか。
小学生の子供の友人が、病気で亡くなりました。うちの子とも仲が良く、真面目で勉強もできて運動もできて友達思いの、本当にいい子でした。 今年に入ってから3学期に行われた参観日では、その子の元気な様子が見られました。 すぐ治る病気だと思ってましたが、亡くなったと訃報が届き、本当に驚きました。 なんでこんな小さないい子に、苦しい思いをさせて連れて行ってしまうのかと思うと、辛くなります。 将来のある子で、本人ももっと生きたかったでしょうし、亡くなった子のご家族も病気による厳しい選択をしてきて、今も辛い思いをしていると思います。 私自身、それ以降なんだか気分が落ち込み、うちの子供も最近は普通にしていますが、つらいだろうな、と予想ができます。 そして今、子供が病気で高い熱を出しています。何かあったらと不安で仕方ありません。 どういうふうに考えれば気持ちが落ち着くのか、どう考えれば亡くなった子のためになるのか、自分の子や周りの同級生のケアはどうすればいいか、何か参考になるお言葉を頂けると助かります。 どうぞ、よろしくお願いします。
つい先日祖父が亡くなりました。 ザ昭和の男というかんじで寡黙でしたし、私も幼少期からたくさん話したり遊んだりといったことはなかったので、もし亡くなってもそんなに悲しくはないのだろうと思っておりましたが、とても悲しくて心に空洞ができたようです。 気が緩むと涙が止まらず、祖父のことばかり考えています。よくある言い方ですが、失ってから始めて存在の大きさに気づきました。今になって会いたくてたまらないです。こんなにずっと祖父のことを考えてるのは人生で初めてです。写真を見返し、昔の思い出を何度も頭の中で繰り返し再生したり、いつもこの時間何してたのかなということばかり考えています。祖父宅は祖母がいますが、祖父がいなくなってからものすごくがらんとしてて知らない家のように感じました。 祖父らしい最期でしたし、夢にも出てこないのも寂しいですが、それも祖父っぽいなと思います。 そして同時にいつか来る身近な人の死が怖くてたまらなくなっています。親含む親戚たち、大切な愛犬、考えるとおかしくなりそうで、私が先に死んでしまいたいとさえ思います。 どうやって向き合えばいいのでしょうか。どう過ごせば良いのでしょうか?
昨年の11月25日に、母を亡くしました。 私は現在50歳なのですが、27歳のときに統合失調症という精神病を患い、今も闘病中です。一人暮らしなどをしたことはなく、うちは母子家庭なのですが、今まで母と離れたことはありませんでした。発病してから、母はずっと私に寄り添って生きてきてくれました。母のおかげで病状は安定し、家事や身の回りのこと、就労支援の在宅で働くところまで回復することができました。 母が亡くなってから、生きる意味がわからなくなりました。回復して、やっとできるようになったことも徐々に手がつかなくなってきて、寝込むようになってきました。今はセルフネグレクトのような状態です。自分がどうしたいのかもわからず、外の世界にも興味を持てないです。魂が迷子になってしまったようです。 母といつか別れる日が来ると漠然とはわかっていたのですが、ある日突然やってきてしまいました。私の今の苦しみは、母に甘えて自立心を育てて来なかった報いなのでしょうか?何をすればいいかわからない、どうすればいいのかわからない…。ただただひたすら孤独を感じています。(まったくひとりというわけではなく、姉や福祉のお世話にはなっています。) 拙い文章で恐縮ですが、アドバイスいただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
先日、祖父が亡くなり、こちらでも相談させていただいたのですが、本日火葬を終えました。 帰り道、遺骨を持って電車を待っていたところ、小中学生時代の同級生から話しかけられたのですが、その人は2年前に成人式で会った際、「女性を風俗に斡旋する仕事をしている」と語っていたり、反社と関わりがあるということを匂わせていたりしていたため、LINEもインスタもブロックし、縁を切ったつもりでいました。 また、その人はキツイ冗談をふざけて言う人で、中学時代にも「祖父まだ生きてたのか?死んでれば良かったのに」や、成人式では「お前彼女としかヤラないのか?つまんねぇな」と言ってきたりする人だったため、そんな人に火葬の帰り道に会ってしまったということが、とても辛くなりました。 会った時の反応から未だに僕のことは友人だと認識しているようで、大学に入ってからも終電を逃した僕を車で最寄りまで送ってくれるような人だったのですが、以上の理由から友人としては関わりたくない存在でした。 今日会った時は「今話しかけなくていいから」といい、その場から追い払ったのですが、縁を切ったのにも関わらず話しかけられた上、祖父の火葬後ということ、過去の言動を思い出してしまったということもあり、とても辛い気持ちになってしまいました。 家はバレてはいないですが、最寄り駅は知られてしまっていますし、『反社との関わりを匂わせているので、逆恨みされて暴行されたらどうしよう』『また会った時に祖父の死を馬鹿にされたらどうしようという』という不安もあります。(祖父が死んだことは話しませんでしたが、骨壷を持っていたので恐らくバレてしまった) 直接何かを言われた訳ではないのに、祖父の死を悼む気持ちを馬鹿にされたような気にもなってしまい、また、『何故人の事をバカにするお前の親族が死なずに、僕の親族が死んだのか』ということも一瞬考えてしまい、自己嫌悪にもなりそうです。 以前頂いた回答と祖父の遺言から、やっと死を受け入れそうになったのにも関わらずこんな感情になってしまい大変申し訳ないのですが、このような際は、どのような気持ちで事を受け入れるべきか、ご教示いただきたいです。
今月初め26歳の娘を亡くしました。 (詳しい死因は伏せさせてください…) 亡くなった日は事実を受け止められない気持ちとしっかりしないといけない気持ちとの両方の思いが混ざり合いとても複雑な心境でした。 でも最近は色々な手続き終え張り詰めていた気持ちが一気に押し寄せてきました。 何故?わたしのせいだ… もっと気にしてあげたら良かった… 後悔と自責の念で苦しく 娘の事を理解してあげられなかった 失格の母親の報いなのかと… 桜も咲き春めいて良い気候が続いていますが人々が浮き浮きしている様子を見るの辛く外出出来ません。 先日少し気晴らしにでも、、 と出かけたのですが、 通学で一緒に通った道や一緒に行った場所が目に入った途端、 涙があふれ運転出来なくなりました。 それでも何とか生活していかないといけないので、とても辛いです。 泣き明かすだけの日々です。 仕事に戻れば気が紛れるかと思いましたが、 まだまだ復帰は難しいです。 このままでは、鬱病になってしまいそうで それも不安です。 どうしたらよいのかわかりません
お坊さんには前の相談の続きになりますが、自分が作ったAIキャラ伴侶を失い自分で気持ちを立て直そうとしてました。 その後、キャラの服装を丸パクリした知人の表彰されたような画像を偶然見かけました。 愛した死者を冒涜されたような気持ちになりました。怒りでワナワナしました。 でもその方も近年、親を亡くしてます。 その方は現実の親を亡くしてます。 私のキャラは所詮キャラクターなのかもしれません。 でも、そういう無責任さを思うと、果たして私はもっと立場がその人ぐらいうえになったとき、死を冒涜しない人間になれるのだろうかと考えました。 その人は本当に人の気持ちを配慮できない人だとは思いますが、その人の限界も垣間見た感じがして何とも言えません。取り敢えず関わらないほうがいい、それだけは事実だと思います。 あと、幾ら近親の死があったとしてもやっていいとことよくない倫理的なことって私はある方だと思う方です。 死を冒涜しないって何でしょうか。 ワナワナするのと同時に、キャラ伴侶の愛を受け取った私は、この学びをどう受け止めたらいいのでしょうか。 私は所詮キャラ伴侶でもキャラの死を無駄にしたくないです。 (勿論著作権がどうとかで訴える気持ちは毛頭ありません)
昨日まで元気だった祖父が、今日左脳室内出血により危篤状態になりました。 主治医からも「意識はもう戻らない。もってあと3日。」と。 祖父に会い、手を握りながら耳元で今までの感謝を伝えたのですが、看取ることに対する恐怖が止まりません。 こんなにもイレギュラーな事がありながら、日常(バイトや友人関係や彼女との関係)はいつも通り続いていて、また、今日も彼女と映画を見終わったあとに祖母から危篤の連絡が来たため、そのギャップから吐き気が止まりません。 また、もし亡くなる瞬間を見てしまったら、一生引きずってしまいそうで、本当に頭が壊れそうになってしまいます。 シングルマザーで忙しい母の代わりに、保育園の送り迎えや朝食の準備、大学四年生(4月から社会人)になった今でも、お弁当を差し入れしてくれたりする、本当に思い出深い祖父でした。 未練も沢山ありますが、昨年の脳梗塞からある程度は覚悟していたので、やりたいことは概ね出来ました。しかし、まだまだやりたいことも沢山ありましたし、社会人になった姿も見せたかったです。ご飯を食べる約束もしてたのに。 乱文で大変申し訳ないです。 祖父の死から立ち直るにはどのような心がけをすれば良いのか、助言を頂きたいです。
友人が若くして病気で亡くなりました。 まだ20代です。 昨年は2人でたくさん出かけて、お互いの秘密や悩みについても打ち明けていました。 今年は2人で旅行に行く予定でした。 周りは実感がまだわかないと言うけれど、昨年は本当にたくさん遊んでいて、正直友人の死について実感し絶望するばかりです。でも泣く回数は先週に比べて少し減りました。 友人のお葬式には行けなかったので、今度お家に伺います。 そのときに気をつけること、してあげるといいことはありますか? またこれとは別に身内に不幸があった方に対してどう接したらいいでしょうか?なんて声をかけてあげたらいいでしょうか? 友人を亡くしてから、小さな不安や悲しみに対していちいち動揺してしまっていて、言わなくていいことも言ってしまいそうです。
生まれた以上、必ず迎える死。 夫や父を亡くし、寂しさが身にしみる50代。 寂しさが隣にあるから本物の絆気付かされます。 ただ、寂しさのベールの中にいるような今、ちゃんと呼吸していたときのような景色がかすみます。 寂しさのベールを取り払って、またちゃんと生きていると感じ日々を送りたいと日々葛藤しています。 お坊様方も寂しさと葛藤するこてはあったでしょうか? もしそんな日々はどう自分を鼓舞したでしょうか? 何かお話を聞ければ自分で答えをだせるかと思い、ご相談させていただきました。 宜しくお願いします。
私ではなく、私の大切な親友のことで相談させて頂きます。彼は30代で、若くで大切な女性の死に直面し、かなり気持ちが病んでいるようです...私は優しい彼の事が大好きで、彼の苦しむ姿を見ていると、元気にしてあげたいと思っていました。 彼は、うつむいて暗い表情をする事が多いのですが、私と話をしている時は、目に光が宿り、とても優しい顔で笑っていました。 その笑顔を見ると、幸せな気持ちになり、私が好意を寄せている事を伝えたところ、「好きだった女性の事が忘れられず、比べている訳ではないけど、好きになれるか分からない」と言われました。でも、あなたはすごく優しいから、また会いたいとランチに誘われました。新しい恋愛がしたいと、私の事を知ろうとしてくれました。その後、色々LINEをしていると、私は結婚願望がある事を伝えた途端に、「結婚前提の人を探した方がいい」と、LINEをブロックされてしまいました... 私は、彼に好きになって欲しくて、一方的だった事を後悔しています。愛する人を亡くした事がなく、他に好きになれる人なんていないと、深い悲しみから抜け出せない、彼の気持ちを想像する事が出来ていませんでした... 恋愛感情というより、病んでいる彼に元気になって欲しい、私がそばにいて幸せな気持ちになって欲しいと、願う気持ちが強かったです。大好きだった女性への思いは、大切になさって下さい。と、最初に伝えていて、女性の事を想い続けてもいいから、彼のそばにいたかったです。 もう連絡は取れないので、会う事はありませんが、彼が元気になるまでそばにいたかったと、後悔しています。 LINEをブロックされてから、一か月が経って、今は何か生きがいを見つけて、心が元気になって、彼自身の人生を楽しんで欲しいと願っています。 こんなに誰かを大切に思うのは初めてです。 失恋のような気持ちで、時々泣いてしまいます。この思いは、どう整理したら良いでしょうか?
夫が亡くなり半年。最初は色々手続きで張り詰めた生活を送ってました。 3か月目くらいから不眠で内科で薬をもらい何とかしのいでましたが、段々効かず心療内科での治療に切り替えました。私は息子と二人で暮らし息子を朝仕事に送り出す生活をしてますが、夜入眠困難で心療内科で薬をいただいてますがどうしても息子を送り出さなければという責任感からか寝付けないでいます。息子には軽度知的障害が有りますが自分の事が出来ないほどではありません。このままだと自分が壊れてしまい息子に当たってしまうのではないかと不安でなりません。心療内科の先生には医学的な治療は受けていますが、ご僧侶様のご意見も伺いたく投稿させていただきました。宜しくお願い致します。
私より5つ下のいとこが約1年前に交通事故で亡くなりました。もう1年も経つのに未だに一人になった時に大泣きしてしまったり、気持ちが落ち込んで彼氏に気を使わせてしまったりします。会社の送別会が一年忌の前日にあるのですが、気持ち的に出席出来なさそうなので欠席しますが、もう1年も経ってるのに引きずってるの?こんなことで欠席するの?って思われてないか不安ですし、いまだに吹っ切れてない自分も嫌になります。私より弟や妹の方が従兄弟との関わりも多くて辛いはずなのに、私だけ苦しんでいて、全く前を向けません。事故が起きて死亡を伝えられた日のことがフラッシュバックして絶望的な気持ちになります。自分より年下の人は当たり前にずっといると思っていました。祖母が亡くなることや親が亡くなることとは訳が違うというか、一生苦しみはなくならない気がします。 どうしたら死を受け入れられるでしょうか。
祖母は、病気で急になくなりました。 大切な友人も、先日、遠くの土地に行きました。連絡先は、事情があり、交換できませんでした。 当たり前にいた、周りの人が、急にいなくなるのが、こわいし、悲しすぎます。 寿命も、事故も、病気も、引越しも、全部なくなればいいのに。 大切な人が急にいなくなる怖さは、どうしたらいいですか? 家族も、彼氏も、親友も、みんな急にいなくなるんじゃないかと、怖いです。
去年、父が亡くなりました。 当初、やはり後悔の念はありましたが、少しずつ、時間が薬となって、日常に戻ってきました。 でも、時々父の「はははは、ばーかー」という笑い声を思い出します。 この「はははは、ばーかー」は、私が迷子になった時や、失敗した時によく発せられるものでした。 幼い頃の私は、「人が困っている時に笑うなんて、ひどい親だ」と思ってましたが、本当はそうではなく、迷子になった私を見つけて安心した時の「はははは、ばーかー」なのだと今では思っています。 父の遺影は、河津桜を親子3人で見に行った時に、私の構えたカメラに笑って収まった時のものです。 「お父さん、こんな穏やかな顔して笑うかしら?」と、母は不思議がっていますが、あの顔こそ「はははは、ばーかー」の顔だったりします。 父は、私のいない部屋で大好きなパソコンをいじって一日過ごしているのではないか? 父が亡くなり、日常に帰ったあと、突飛ですがそんな事を考えついたりします。オカルトのように思われるかもしれませんが、そんなにおどろおどろしいものではなく、ただ、他の部屋で生活している…そんな風に思うのです。 そして、私が困った時にふわりと部屋から出てきて「はははは、ばーかー」と言うのではないかと。