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仏様は見捨てないでくださいますか

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有り難し有り難し 13

はじめまして、こんばんは。
初めての質問です。

私は今学生なのですが、何一つとしてまともにできません。みんなが普通にできていること、していること、一つ一つが私にとってはすごくしんどくて毎日ボロボロです。

私は、すごく貧しいわけでもなく、救いようがないほど頭が悪いわけでもなく、家族も友人もとてもいい人たちで、きっと世間一般ではすごく恵まれているのだと思います。でも、それに対して迷惑しか返すことができていない自分が嫌になります。

最初に書いた通り、私は普通の人が普通にしていることが何もできていません。それなのに、苦しいだの、頑張っているだの自分で自分を守ろうとしてしまうのです。自分なりに頑張っている、なんて都合がいいのはわかっています。

いっそ死んでしまった方が周りのためでしょうし、これ以上苦しみたくありません。しかし、恵まれているくせに勝手に死ぬ自分は地獄でもっとずっと苦しい思いをするのではないかと思い、結局私はリストカットをして自分は傷ついていると思おうとしているだけなのです。自分が可愛いのだと思います。

私のような恵まれているのを自覚して恩を返せない奴がいつまでも生きていていいのでしょうか。私のような人間でも死んだ時仏様は受け入れてくれるのでしょうか。大した信仰もしてこなかったくせに死ぬときになって縋るような奴は見捨てられてしまうでしょうか。

文章ぐちゃぐちゃだと思います。申し訳ありません。ご回答いただけたら嬉しく思います。

2021年5月24日 3:03

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様のお心に触れてください

こんにちは。

一読したところで、あなたは深い孤独と自己嫌悪に苛まれていることが伺えます。
「いっそ死んでしまった方が周りのため」と書いているのは、自分への卑下と生への苦しさから湧き出でた言葉なのでしょう。しかし、それは逆に言えばそれは人から認められたい、人に温かく受け入れられる自分になりたい、なるべく穏やかな心で生きていきたいと思う渇望でもあります。

阿弥陀如来様は、摂取不捨(せっしゅふしゃ)というお慈悲の心をお持ちです。
摂(おさ)め取って捨てない、つまり引き受けて見捨てないというお心です。あなたの苦しみを自分のことのように苦しみ、あなたの悲しみを同じように悲しんで一緒に引き受けていってくださる、のです。

「大した信仰もしてこなかったくせに死ぬときになって縋るような奴は見捨てられてしまうでしょうか」と書いています。今、述べたように仏様は見捨てられません。見捨てるかどうかを心配するのは、いつも人間の側だけです。仏様は見捨てるなどとという選択肢をそもそもお持ちではありません。

しかし、あなたは今「見捨て」るかどうかを心配している。
それは、「信仰」していないからではなく、あなたが仏様のお心に触れていないからです。仏様のお心に触れるには、一生を掛けて聞いて、聞いて、聞きぬいていかなければなりません。一度ならず法話を聞き続けていくところに、「見捨て」る云々の問題は自然に氷解します。

また、あなたが今の自分を卑下せず、そのままを認められる安心に身を浸していくためにも、法話を聞くことが大切です。

「死んだ時仏様は受け入れてくれるのでしょうか」と書いていることも同様です。
「受け入れ」てくれるかどうか、あなたは心配だから尋ねている。それは、あなたが仏様のお心に触れていないからです。

ぜひ、法話を聞いて仏様のお心に触れてください。
あなたの抱えている問題の解決の糸口が、そこにかならずあるはずです。

本願寺法話配信サイト
https://broadcast.hongwanji.or.jp/

2021年5月24日 8:03
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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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仏様はあなたをお救い下さいます

拝読させて頂きました。
あなたがご自分のことを何もできないものであると感じて考えておられて、とても自信を失ってしまい、自分なんてダメなやつだ、自分はきっと生きていても価値がない無意味だ、自分なんてきっと救われないと思っておられることを読ませて頂きました。あなたの全ての思いは定かではありませんけどもそんなあなたの辛い思いを心からお察しします。

あなたは決して何もできない方ではありませんし、何の価値もない方でもありません。そしてあなたは決して独りではありません。
あなたは先ず生きているだけで尊い方ですし、あなたが思う遥かにあなたのことを大切に思っている方々が沢山いらっしゃるのです。あなたが生きることを喜び嬉しいと思っておられる方々が沢山いらっしゃるのです。
そしてあなたは今までもこれからもずっといろいろな方々に恵まれていろいろ出会いの中で経験しながら一つ一つ学んでいきながら少しずつ成長なさっていかれるのです。それはあなたのペースで習得なさっていかれるのです。あなたはこれからもっと沢山のことを目にして体験しながら感じて考え試行錯誤を繰り返し、失敗したり間違いながらも覚えていくのです。ですから今あなたは決して卑下することでもなく自分なんてダメだと思うこともありません。
あなたには沢山の可能性があり能力が秘められています。あなたはまだ自分の可能性や能力を知らないのです。その可能性や能力はいろいろな出会いや経験をしていく中で開花していくものです。
可能性一つとってもあなたは私よりも遥かに高く広い可能性がありますし、身体的な能力で言えば私よりも遥かに柔軟性もスタミナもあるでしょうし、私よりも病気に対する抵抗力や免疫力も高いでしょう。
ですからそのようなあなたを自信持って下さい。そしてそのようなあなたのことを神様も仏様もご先祖様方もいつも優しく見守り続けていて下さいます。あなたのことを信じていつもお導きなさって下さいます。どうか安心なさって下さい。あなたは既に仏様にもご先祖様も受け入れられているのですし、あなたを救って下さいますからね。
あなたがこれからも仏様や神様やご先祖様方に守られながら、ご家族の皆さんと一緒に思いやり分かち合い、あなたのペースでお健やかに成長なさっていかれますようにと切に祈っております。あなたのことを心から応援してますね。
またあなたの思いを教えて下さいね。

2021年5月24日 13:18
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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

有り難し有り難し 15
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ