父はどう思っているのでしょうか?
父が亡くなる直前まで心労をかけてしまいました。
婚約後、価値観の違いから衝突して、入籍の無期限延期を言われたのですが、
話合いをしても平行線で、自らピリオドを打ちました。
当時入院中だった父は病室から何度か電話をくれて
「心配しているけど、自分の将来なんだからおまえに任せる」と言ってくれていました。
遠距離恋愛の為、名古屋まで話合いに向かいました。
彼の要望を聞いていると、私が望むごく一般的なつつましい結婚生活は期待できそうもなく、好きな気持ちはあるけど、先々の事を考えて交際自体も終わらせる事を選んで自分の住む町へ戻りました。
翌朝、父の容体が急変し、16日間の危篤状態を経て他界しました。
この期間私の為に頑張ってくれたような気がしてなりません。
父も理解してくれていたこととはいえ、死の直前まで心労かけました。
その所為で死期が早まったのではないか?
糠喜びさせて、悲しい気持ちのまま旅立ったのではないか?
悔やんでも悔やみきれません…
父の訃報はSNSなどで知ることが可能ですが、彼からは音沙汰なしでした。
最後はお互い納得して別れたのに、別れてしまったとはいえ、ひと月まえに家族になっていたはずの人なのに…。
親族への挨拶まで済んで入籍直前なのに自分の都合で延期を言い出したのに、両親への説明や謝罪もしてくれませんでした。
別れることまでは考えていなかった彼ですが、その言い分が自分にだけ都合の良すぎるものだったので、私から去ることを決断しました。
それでもお互い人としての義理人情はあると信じていました。
私は愛されていなかったんだ…
今は内省していないと気持ちの置き場所が見つかりません。
職場の人もみんな知っていて、誰に対しても申し訳ない気持ちです。
私の状況を知る親族も二重の悲しみを抱いています。
葬儀の間、隣に座る姉の横には姉の旦那さんが居て、
本当だったらあの人がここに座っていてそれだけで救われたはずなのに…
父の死をこんな絶望感で受入なければいけないのは何でなのだろう?
私は何をそんなに間違えたのだろう?
彼氏に自分の気持ちを言ってはいけなかったのだろうか?
たまに彼に対して恨みのような感情が沸き上がるのが辛いです。
父の死、ただそれだけを悲しむことができればどんなにいいか…。
「お父さん、ごめんね。」
父に会いたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親が子を心配するのは自然なこと、それが愛情です。心労とは違う
今ここに書かれた想い、仏様がお父さまに届けてくださっていますよ。
よく考えて結婚するものです。それは、お父さまがよくご存知です。だから、あなたに任せると仰った。違和感や価値観の違いへの気づきは大きいわ。一生連れ添うことを考えたときに、あなたの決断は間違っていなかったのです。彼の本心を見抜けたのですから。
親が子を心配するのは自然なことであり、それが愛情ですよ。心労とは違うわ。
お父さまは、精一杯に生き抜かれたのですよ。よく頑張られましたよね。これからだって、あなたの生き方を見守ってくださっていますよ。ずっと親子なのだからね。
そして、またいつの日か、お浄土でお遇いしましょうね。それが、仏様のお救いですもの。
私もこちらから手を合わせます。
ふと思ったこと。
ご質問拝読いたしました。
話が飛んでしまうのですが、
御容赦ください。
愚僧は御縁があって、
名古屋のお寺の住職を継職
することになり、
2年半ほど月に何度か、
名古屋に通っておりました。
仕事を辞めて、
経営している会社を譲り、
名古屋で骨を埋める覚悟が
できずに破談になって
しまいました。
前住職を始め皆様に、
大変なご迷惑をお掛けして、
いまでも大変申し訳なく、
お詫びしてもお詫びしきる
話ではございません。
理由は愚僧が
決断出来なかったこと、
でございます。
いまは立派な方が、
継職されていると聞いています。
未練や後悔しきりでは
ございましたが、
結果として理由が
わかりました。
まずは、
あれだけ心身ともに、
健康であった両親が、
要介護になり、
痴呆やせん妄が進み、
随時介護が必要になりました。
在宅での介護が困難となり、
2人ともグループホームに
昨年末入所しました。
そして、
経営する会社ですが、
このコロナ禍で、
休業や時短営業に
追い込まれました。
東日本大震災でも
計画停電等影響を受けましたが、
そんなものが比でないほどの、
大打撃でした。
いまも影響を受けています。
仮に会社を譲っていたとしたら、
おそらくは倒産または、
廃業必至だったと思います。
経営を委ねることの人材が
まだ育成できていないからです。
あの時に、
住職継職を断念したのは、
やむを得なかったのだと、
いまは考えています。
どうかあなたも、
いま決断したことを後悔する
のではなく、
決断が正しかったのだと、
思えるような人生を
開拓し歩んでくださいませ。
お父さまも同じだと思います。
聡明なお父さまのこと、
あなたのお気持ちは、
もうお見通ですよ。
自分が選んだ道を
真っ直ぐに歩みなさい!
お父さんは、
お前の幸せを常に祈っているよ。
と声無き声が聞こえて
きませんか?
もうご自身を責めるのは、
おやめなさい。
お父さま悲しみますよ。
しっかりと前を見据えて、
あなたがあなたらしく
生き抜いていくことが、
何よりの御供養であり、
親孝行でございます。
愚僧もあなたの幸せを
祈ります。
どうかお幸せに!
質問者からのお礼
【中田 三恵様】
温かいお言葉をありがとうございます。
心労とは違うと言っていただけると救われます。
願わくば両親と同じように親になり、孫の姿を見せたい。
そこへのこだわりが今回の破談になる理由のひとつでもあります。
未だ親になれていない私は両親に心労をかけたとばかり思っていました。
母からも「あなたの選択は間違っていないし、お父さんも分かっているからね」と言われました。素直に受け取れず申し訳なくなってきました。
親って、親の心って、本当に有難いですね。
生まれ変わってもこの両親元に生まれたいと願います。
もしもこの先母になることが出来たなら、父母からもらった愛情を
その子供に惜しみなく注ぎたいと思います。
葬儀の後も沢山人が訪ねてくださり、父の人柄に救われています
父のように徳のある人になれたらと思います
お気持ちを寄せていただき、本当にありがとうございます。
このような状況下で拠り所になってくださったこと深く感謝いたします。
【花山 雲吉様】
ご自身の辛い経験のお話まで聞かせていただきありがとうございます。
コロナウィルスによって世界や人の心が善くも悪くも左右されているように感じます。花山からのコメントを拝見し、そんな中でもいかに希望を忘れずに生きていくのか、そのことがとても必要なのではないかと考えさせられました。
「決断したことを後悔するのではなく、決断が正しかったのだと、思えるような人生を歩む」
これからの私の生きるの道標となるお言葉です。
いまは常に「ごめんなさい」と思ってしまいますが、いつか全てのことを「ありがとう」へと変換できるように頑張ります。
花山様も現在大変お辛い状況の中とは存じますが、どうかお身体を大切なさってください。ありがとうございます。
【僧侶の皆様へ】
まだまだコロナウィルスの状況も安心できませんね
この場で私のように悩みを抱える人に優しいお言葉かけてくださりありがとうございます。相談の内容によってはそのお心が傷ついたり、抱えきれない気持ちになってしまうこともあるのではないでしょうか?
私はここで自分が相談させていただいた内容に対して、自分だったら返す言葉もないかもしれないと思うばかりです…。
皆様の存在によって救われる心がたくさんあると存じますが、
どうかお身体やお心調子を崩されませんように…
いただいた温かさを励みに日々を頑張りたいと思います。