自分に自信を持ちたいです。
何回も相談させてもらってしつこいかもしれないのですけど、また相談させてください。
過去の強迫性障害(加害恐怖)で、忘れられないことがあり、それが強く私を縛りつけています。加害恐怖で自分が犯罪を犯してしまった感じがずっとしていて、いつかその罰を受けなくてはいけないのではと思ってしまいます。記憶が曖昧で、はっきりそんなことをしていないと言えないのが原因だと思います。
それに、何年もずっと1人で抱えてて、なんでもっと早く家族や友達に相談しなかったんだろうって思ってしまいます。もっと早く相談していれば、楽になれたのにって今感じます。
私は、19歳フリーターですが、本気で勉強して、大学に行くと覚悟を決めました。勉強をして、自分の可能性を広げたいからです。
そのためには、不安は大敵です。余計なことは考えずに勉強に集中したいのですが、どうすればいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
物理的な作業を進める
心は、猿が木から木へ飛び回るように落ちつきがないものです。
妄想雑念で気持ちが逸れてしまうことは、誰にでもあります。
ですが、身体や口を動かす作業、つまり物理的な作業をやることで、飛んで行った心が帰って来やすくなります。
なので、勉強したいなら、とにかくまずは机に向かって、テキストに向かって、ペンを動かす作業をしましょう。
作業の後から心がついてきてくれるはずです。
心が逸れても、決めた時間は机から離れないなど、身体・物体を拠り所にしましょう。
気になる気持ちに対してこそ、仏様はいらっしゃる。
こんにちは。亀山純史と申します。
考えないようにしようとすればするほど、気にしないようにすればするほど、考えてしまう、気になってしまうのが私たちの心ですよね。わたしにもそのような経験は、幾らでもあります。そのようなとき、その気になる気持ちを包み込んでくれるものの見方があれば、気になることでも気にならなくなる、あるいは気になる気持ちが少しは和らぐのではないでしょうか。
では、そのようなものの見方とは何か。その一つに、仏様という存在があるのではないかと思っています。仏様とは、私たちを真実に導こうとしている働きを言います。真実とは、物事は縁によって生じたり滅したりするものであり、何一つとして固定的なものは存在しない、という見方によって開かれる世界です。そのような真実に私たちを導こうしている働きは、常に私たちと共にあり、私たちを照らし続けているのです。私たちが仏様に対して手をあわせる、合掌するのも、そのような働きの仏様への敬意の表明です。
気になる気持ちを無くすことが出来なくても、そのようなあなたのためにこそ、仏様はいらっしゃる、仏様はお働きになられているのだ、ということを想い、仏様に手をあわせていけたならと思います。
以上が私からの回答です。是非、勉強に励み、そして将来、自分の可能性を広げていってほしいと思っています。
質問者からのお礼
お礼が遅れてしまい、すいません。
回答ありがとうございました。心の拠り所を作っていきたいと思います。