出会い系
出会い系サイトにて出来ごころで自分の顔写真を見知らぬ一人の方に送ってしまいました。冷静になったら怖くなりすぐ退会しましたがその顔写真が出回ったり出会い系をやってたことがもし友人にバレてしまった時の事を考えると不安で何もてにつきません。サイトについては実際に誰かに会ったりしたこともなく興味本位で始めたものでもう絶対にしません。本当にバカな事をしたと思います。不安でなにも手につかないです。こんな相談内容で困ると思うのですがお坊さんの助言をきかせていただけませんか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
常に現実から始める大切さ
こんにちは。
私は、「出会い系サイト」というものを詳しく知りませんが、それはあくまで「出会い」を目的としたのでしょう。男女双方の合意の上で「出会い」たいのだから、「出会い系サイト」を利用する。それだけのことだと思います。その「出会い」をその後どう発展させるかは本人たち次第であって、「出会い」そのものが宜しくないのではないと思います。
あなたは「出会い系をやってたことがもし友人にバレてしまった時の事を考えると不安で何もてにつきません」と書いています。それは、つまり「出会い系サイト」を利用していたという目で周囲の誰かから見られることを危惧しているのでしょうか。
つまり、あなたは自己イメージを高く設定しているから、低めの評価が気になるのではないですか。「出会い系サイト」を利用するような人、というイメージで自分を見てほしくないし、自分でも認めたくない。過去の自分をなかったことにできたら。そういう葛藤で何も手につかないのでは。
問題は、「友人にバレ」るかどうかではなく、あなたの理想の自己イメージと現実の自己とのギャップにこそあるのでは、と感じました。
「出会い系サイト」を利用したいと登録した自分がいた。
それは事実であり、現実です。
それを素直に認めましょう。
常に現実から始める、それがあなたに今必要なことではないですか。
隠すから恥ずかしい
拝
ご相談ありがとうございます
「大丈夫」って実は仏教用語でして
菩薩のような立派な人を指します
現在は安心を促す言葉として使われる事が多いですね
人を好きになる事も
好きになって欲しいという思いも
人として大きくなる為に必要な事で
それで失敗したからといって
恥ずかしいことではありません
多少の失敗を怖がって何もしないより
自分の気持ちを表現する勇気はいつも欲しいですね
菩薩というのは
苦悩する人々の前に現れ
悩みに耳を傾け助ける修行を積む仏のことを指します
「菩薩様がついているから安心していいんだよ」
そんな優しい語りかけの中から
現在の「大丈夫」の使い方に至った
そのように思い馳せます
貴方は自分を完璧に見せたいのかもしれないけど
完璧な人間なんてこの世にいない
むしろミスだらけの自分でありのまま
今回の話も冗談を交えながら
「こんなんやっちゃってさー」
って話す人の方が素敵でしょ?
隠すから恥ずかしい
堂々と失敗していいんです
それを聞いて救われる人もいるんです
大丈夫は大丈夫を呼ぶんですね
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。お坊さんの言っていることはごもっともです。わかってはいるのですがまだ気持ちの整理がつきません。すこし時間が必要なようです。また機会がありましたら相談にのってくださると嬉しいです。くよくよしていても仕方がないのでとりあえず前をみて進もうと思います。