出家したいです
決して、出家したほうが楽だとか、逃げ場にしたいというわけではありません。
失礼でしたら大変申し訳ありません。
ただただ、辛いことが重なり、生きることがとても困難であると感じています。
憎むことにも、恨むことにも、怒りを覚えることにも、傷つくことにも疲れました。
大病を患い、この先どれほど生きられるかわかりませんが、死ぬまでの間、ただ静かに仏さまに祈りを捧げて過ごしたい。
そんな気持ちでいます。
家族にも見捨てられ、社会にもお荷物扱いされ、居場所がありません。
何の因果でこうなったのか、私の罪だというならば、静かにそれを見つめ、雪いで過ごしたいのです。
ただ、私が死ぬまで、身を置かせていただければ十分なのです。
死んだらその辺に埋めてほったらかしていただいて構いません。
支離滅裂で申し訳ありません。
助けていただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今のままで自分と向き合っていきませんか
こんにちは。
「大病を患い、この先どれほど生きられるかわかりません」とのことです。心身ともにお辛いこととお察しします。
結論から言って、私は「出家」という方法をお勧めできません。現在の生活の中に仏教を求められていく方が現実的であるし、あなたの現在の状況に即したものだと思うからです。
「家族にも見捨てられ」と書いてありますが、これは具体的にどういう状況なのでしょうか。あなたは妻であり母であるという立場を追われたのでしょうか。その状況と理由がわかりません。
なぜ私がそういうことを尋ねのかと言うと、「決して、出家したほうが楽だとか、逃げ場にしたいというわけではありません」ということの確認をしたいからです。
仏教はどの宗派であっても、業(ごう)という行為を問題にします。それは自分の過去の業に責任を持ち、業を背負って現在と未来を考えていく教えです。
あなたは、その家族とどんなやり取りを通して「家族にも見捨てられ」たという現在があるのですか。それに向き合うことこそが、既に在俗で仏教的な生き方になっています。
現在の自分に向き合うことなく、今までと全く違う環境に身を置いてリセットを希望する事は、「逃げ場」を求めているようにも感じます。
仏教の基本である 業 についての理解がされているのかという事と共に、気になるのは仏教を漠然としたイメージで捉えているのではないかという点です。
「ただ静かに仏さまに祈りを捧げて過ごしたい」と書いています。あなたはどのような宗派かわかりません。しかし、これは在俗にありながらでも十分できることです。ご自宅のお仏壇や、近所のお寺でもそれは可能です。
仏様に向き合うということは、結局仏様を通しての自分と向き合うということに他なりません。在俗にあっても、出家してもそれは変わらないのです。
あなたには辛い出来事が様々あるのでしょう。
それは文面に書かれていないので詳細は分かりません。また第三者にも全てを理解することは難しいでしょう。
しかし、困難で苦しい思いをしている人こそ仏教に触れてほしいです。このホームページにはあなたと同様に苦しんでいる人の足跡が残されています。まずは、そこをたどりつつ、質問しつつ今のままで自分と向き合っていきませんか(字数制限)
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
詳細を記載しないまま相談してしまって申し訳ありませんでした。
ご指摘の通り、ある種の逃げ場にしたい気持ちはゼロではないかもしれません。
大変失礼いたしました。
こちらも回答にいただきました通り、妻として、母親として、機能しなくなったせいもあると思いますが、夫には子供をおいて出て行けと言われています。
私が今のままを保ちたくても、保てないのが現実です。
また、家には仏壇はありません。
近くのお寺は当然ですが夫の家の系列です。
他のお寺様にも何度も足を運びました。
それではどうにもならなく、そのうえで、ということなのです。
すみません。
最初に書くべきでした。
お忙しい中、ご回答いただきまして、ありがとうございます。
お言葉、今後の糧に致します。