不妊のストレスから抜け出せない
結婚3年半。来月33歳になります。
2年半の妊活期間中、1年半不妊治療をしてきましたが、いまだに子宝に恵まれません。ストレスが強く、ずっと不眠症です。
ストレスが一番よくないとわかっているのに、不安で不安で、その不安を手放せません。
・人生で一番叶えたい願いは子どもを生んでお母さんになることだったのに、叶えられないのではないか
・いつまでこの日々が続くのか
・いまこの時眠れずストレスを感じている自分のせいで、また妊娠が遠ざかり、一生このままなのではないか
・ある友人は、長年生理不順をほっておいたのに妊娠した。また別の友人は、偏食で運動嫌いで、わたしがずっと頑張っている運動や食事に気を遣ってないのに妊娠した。わたしはそんなにだめなのか…
このようなことをいつほっておいたでも考えてしまいます。
昼夜を問わず、こういった思考が途切れません。
このまま子どもが生めないのなら、もう死んでしまおうとさえ思います。思いつめすぎているとわかっている一方で、どこにもすがれないような、足元がなくなってしまったような気持ちです。
夫は、そんなわたしに少し呆れてきている気がします。もともと子どもはいてもいなくてもいい人で、体外受精でお金がかかるようになってからようやく協力的になってきてくれましたが、わたしが子どもにそんなにこだわる理由がわからないようです。
わたしも何度も夫のように諦めよう、無欲になろうとしましたが、無理でした。
ずっと子どもが欲しくて苦しみ、授かった知人に苦しいほどの妬みを感じ、毎日毎日不安で気が狂いそうです。
自分のなかに、妬みと悲しみと怒りがずっと渦巻いています。
どうしたらこの苦しみから救われますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
医学的にどうなのでしょう
うちの長子は私が36歳、家内が34歳のときの子です。妊活を数年間してきました。だから、お気持ちはかなりよく理解できるつもりです。男と女性ではずいぶん違うところはありますでしょうけど。
不妊治療はなかなか出口が見えません。妊娠したら出口になりますが、何時ということは誰にも分かりません。後から結婚なさった人たちが次々と出産されますので、滅入ってしまいます。
自分の思い通りにならないと悩んだり、自分や他者に腹を立ててしまいますし、関係ない人を恨んだりすることすらあります。それは間違っていると分かっていても、つい気づいたらそうしています。
仏教では人生は自分の思い通りにいかないものである。だのに、思い通りにしたいので、その迷いが人を苦しめるのだと説きます。人生を自分の思い通りにしようとすることを手放し、諦める(明らかに見る)視点を持つと少しは楽になります。
また、産もうとする自分がいれば、生まれようとする子供もいるわけです。子供の方が親を選んで生まれてくると仏教では考えます。親の思い通りに子供が生まれてくるのではないと考えるわけです。もっというと子供の側の問題なんですね。だから、子供を望んでいないカップルから生まれてくる子があるというわけです。
偉そうなことはいえませんが、子供に選んでもらえるような夫婦になる、そういう人格は夫婦仲を構築する、という視点もあっていいのかもしれません。
どんな治療を受けておられるのか分かりませんが、不妊治療ってずいぶんお辛いものであるようです。家内は辛いと言っていました。それを続けていくには、「なんとしても」という強い気持ちがないとやっていけないのでしょう。男の私には実感としては決して分からないことです。
お辛いでしょうが、希望があるなら不妊治療をお続けになるのがよいでしょう。もっと高齢になってから授かる場合は確かにあります。しかし、最終的には何か大きなものにお任せするしかないというお考えを持っていただくことも必要だと思います。
質問者からのお礼
ご回答本当にありがとうございます。今までの不妊期間で、「諦める」という言葉にも何度も悩み苦しみましたが、「明らかに見る」という言葉をいただき、今はじめて、すっと心に染み込みました。大きなものに任せる。その気持ちを、ようやく少し持てそうな気がします。前向きに、治療を頑張っていこうと思います。とても寄り添った言葉を、ありがとうございました。