一人で生きていくのが辛いです
23歳です。私の両親は毒親でした。親戚はみな有名巨大企業です。高学歴で高収入=勝ち組といった昭和的価値観の家庭でした。
小学生
小学生の頃の私は親が決めた習い事をやらされていました。常に暗く苛々していて小学生の頃から自殺願望があり、家では常に罵倒され、兄弟と比較され、学校では苛められ居場所はありませんでした。
中学生
中学生の頃の私は、両親が決めた水泳と塾を無理やり続け、学校でも引き続き苛められ成績は悪化するばかりでした。塾でも学校でも常にぼーっとしていて同級生に殴られ蹴られても痛いとも感じませんでした。そこでそんな環境から逃げることを考え実家神奈川から北海道の農業高校にいく選択をしました。農業には全く興味なかったです。「誰が飯食わせてると思ってる!この家が嫌なら出ていけ」と言う親への反発心もありました。
高校生
農業高校では規則と上下関係が非常に厳しく、根性論が蔓延っていました。そこでも虐められました。寮生活なので24時間です。やりたくない農業の勉強と実習に3年間耐えました。そして、学校終了後は毎日夜まで一般教科の勉強をしました。農業高校なので自分で勉強計画を作り独学しました。結果、偏差値40の高校から偏差値60の私立文系大学に進学しました。
大学生
やりたくもないサークルに入り、バイト、ベンチャーでの長期インターン、8ヶ月の長期留学をし、必死でエントリーシートに書く内容を掻き集めました。また、長期留学(ワーホリ)中、現地でバイトして稼ぎながら空いた時間全て勉強しました。友達は一人もいませんでした。
就活
100社以上落とされましたが、9月後半に奇跡的に1社内定を頂きました。なんとそこが、ボーナス8ヶ月、平均残業10h、創業90年、安定性抜群、社風が非常に穏やかでホワイトな社員400人くらいの中小企業だったのです。やっと休んでもいいんだ!となり、卒業までのんびり休みました
就職後
やはりいい会社でした。しかし、私は支えてくれる家族、友達、恋人が一人もいません。誇れる過去も希望ある未来もありません。ストレスによる顎関節症で顎は曲がり首から上が常に痛いです。私はこれからもずっと一人でしょう。経済的に安定したことはありがたいですが
私が本当に欲しかったのは「幸福」でした。どんなに努力しても手に入らなかった。もう疲れた!最後に私が出来ることは自殺するのみです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まだ「幸福」の入り口
こんにちは。
これまでの半生を読み、相当な辛苦と努力の連続を重ねてこられたことが伺えます。「誇れる過去も希望ある未来もありません」と書いていますが、少なくとも「過去」はあなたが辛抱と頑張りの中に這い上がって来た軌跡ですから、これは一定の評価をしても全くおかしくないと思います。
就職の段階で始めて、追い立てられるようなつらい日々がやっと一先ず平穏を迎えた、という感慨が伝わってきます。その一方、今度は「幸福」が人生の俎上に大きな問題として上がってきた、そういう状態なのでしょう。
あなたは、
私が本当に欲しかったのは「幸福」でした。どんなに努力しても手に入らなかった。もう疲れた!
と書いています。
あなたに考えてほしいのは、「幸福」が「手に入」った経験がないのに、「幸福」とは何かが分かるのですか、ということです。あなたは、「幸福」という言葉を使っていても、「幸福」が何を指すのかが分かっていない、その可能性はありませんか。
「幸福」、これを一生かけても分からない、という人もいます。
それだけに大きいテーマであるし、肝心なのは努力すれば「手に入」るという図式が必ずしも当てはまらないのが「幸福」なのだと思います。
あなたは、「幸福」についてのある程度のイメージはあるようです。「支えてくれる家族、友達、恋人」がいない、これは恐らく「幸福」ではない証左なのだろう、と推測しているのだと思います。
分かち合う人が居ない、それは確かに「幸福」とはいい難いかもしれません。
分け合える人がいる、悲喜こもごも共有して共に笑い合ったり、泣いたり、信頼する人が居ないということは。
ただ、周囲に人が居ないのは結果です。
それは、自分をさらけ出し、相手もさらけ出すという過程がないゆえの結果です。
あなたは、「過去」はさておき、現在において自分の弱さをみせたり、本音を言ったり、受け止められたり、周囲の心遣いに感謝したりという試みや実体験が不足しているのだと思います。
あなたはまだ「幸福」の入り口に立ったに過ぎないのだと思います。
諦めるには早すぎるのです。
自分以外の他者を埋めるのは、力を抜いた赤裸々なコミュニケーションです。
そのありのままの自分を出していき、受け止められていくところに自然と人は集まります。その時に、あなたは「幸福」の意味を心に知るのだと思います(字数制限)
貴方が生きてきた23年間そのものが誇れる過去なのです!
まず、一言。「今日までがんばって生きてきましたね」貴方は、「誇れる過去も希望ある未来のありません」と書いておられますが、私はそうは思いません。頂いたご相談を拝見すると、小学校から大学に至るまでこれだけ複雑な環境の中で、本当によく踏ん張って生きてこられたなあと思いました。貴方の(秘めた)精神的なたくましさに、私は感動しました。貴方の23年間の人生そのものが、誇れる過去だと思いました。それに加え、今は安定した会社に職を得て、穏やかな社風の中で仕事が出来ているのですね。これまでの貴方の頑張りがきちんと認められた証だと思います。その安心を感じることが出来たからこそ、これまでの自分を振り返る余裕が生まれたのではありませんか。
さあ、その安心の中で一度ご自身の人生を振り返ってみてください。本当につらく大変だったけれど、その中を頑張ってきたんだよな、と自分自身を受け止めてあげてください。これまでの自分に自信がよみがえってきた時、あなたの表情や言葉・態度にも様々な変化が生まれてくるでしょう。これだけの苦労を重ねた貴方だからこそ、見えてくるものがあると思います。それら一つひとつの気づきが、新たな出会いのきっかけを与えてくれます。
人間の欲望から言えば、自分にとって楽しい・快適・ストレスがない・自由なこと=幸せとイメージをしていますよね。そのイメージからするなら、貴方は正反対で不幸せな23年間だったと思うでしょう。しかし、私は「本当の不幸せは、つらく苦しい日々から何も学ぶことがないこと」と思っています。「あの時の苦しみがあったからこそ」「あの時の悔しさがあったからこそ」と、貴方は、つらく苦しい日々から様々な気づきや発見を得ることができているのではないでしょうか。人の心の機微やかけてもらった言葉の大切さなど・・・。出来事のマイナス面だけに思いが集中していた自分が、そのプラス面にも目が向いた時、貴方の人生はより豊かで深いものになります。私は、その転換を「本当の幸せ」と受け止めて生きています。なぜなら、その転換こそが仏教の働きだからです。
オリンピックのように、世界中のみんなが注目し拍手をくれることではないけれど、私は、貴方の23年間に大きな拍手を送ります。そして、これからの日々にエールを届けたいと思います。「きっと、大丈夫!!」また、このハスノハにいつでも相談できますよ。