亡くなった母に謝りたい
今年6月6日に母が亡くなりました。昨年10月から入院しておりました。
私は他県に住んでおりコロナが広がるまでは年に2〜3回顔を見せていました。同居している兄は歩けなくなった母を一生懸命世話してくれました。
入院してからは兄が病院に行ってはリモートで様子を教えてくれていました。
亡くなる一ヶ月前、兄から「母さんの状態が良くない亅と知らされたのですが、すぐには行きませんでした。あの時自分が何を考えていたのか、今思うと理解出来ません。また持ち直すと思っていたかも知れません。
6月4日に兄から「今から来れるか」と連絡がありすぐに出かけました。
その日は病院の先生から話が聞けると思っていたのですが、到着が遅くなり病院へは行けませんでした。
次の日も先生が病院にいないという事で行けず。
その次の日、朝早く病院から連絡があり、駆けつけましたが「つい先程亡くなりました」と言われました。
信じられませんでした。
一ヶ月前に直ぐに駆けつけなかった事、亡くなる朝、もっと早く行ってあげていれば。
一人で逝かせてしまった事。
どんなに痛かっただろう、辛かっただろう、寂しかっただろう。
親不孝の大馬鹿者だと毎日後悔の気持ちで過ごしています。
本当に取り返しのつかない事をしてしまった。
6月4日、実家に着いた時から三日間、私は実家の猫に引っ掻かれ傷だらけになっています。
狂ったように飛びかかって来ました。
これは、怒っているお母さんが猫に乗り移っての行動かと思っています。
毎日写真を見ては、話しかけていますが、母は怒っているんじゃないか、どんな気持ちでいるんだろう?
取り返しのつかない事をしてしまった。
胸が締め付けられる思いで苦しいです。
長い文になりまして申し訳ありません。
お言葉を頂けましたらありがたいです。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お母様に対してこれからできること
質問読ませていただきました。
後悔先に立たずとは言いますが、大切な親御さんが亡くなる前に顔を見せられなかったことで心悩まされているのですね。
心中お察しいたします。
さて、世の中は自分の想像もしなかったことが突然おこったりします。その突然のことに常に備えておくなんて不可能なことで、「そんなことはないだろう」「まだ大丈夫だろう」とどうしても楽観的に考えてしまうものです。
また、過去を振り返って色々後悔し、「何故あのときちゃんとしなかったのか・・・」と思い悩むこともあるでしょう。しかしいざその当時の状況を考えてみたとき、おそらくponさんもヒマしていたわけではなく、何か忙しかったり、他のことに思い悩んだりしていたのではないですか?
もちろん、お母様の命と比較してしまったらそれに勝るものなんてないでしょうが、お母様が亡くなるかどうかなんてその時にはわかりません。ですから、自分のことを優先してしまうことだってあるのです。
あまり自分を責めすぎないでくださいね。
また、過去はいくら後悔しても変えることはできません。お母様がどのような気持ちで亡くなられたのか、それは今となっては知る術はないでしょう。ひょっとしたら、「最期に顔を見たかった」と思われたかもしれないし、逆に「私のことは気にしないでも大丈夫だよ」と思われたかもしれません。いくら考えても、ponさんの想像にすぎないのです。
ですが、未来は変えることが出来ます。お母様にしてあげれることはまだあるんです。それは、しっかり供養してあげることです。信頼できる僧侶にお願いして、しっかりと供養してあげてください。それによってお母様は苦しみから救われます。それはとても大きな親孝行となるでしょう。
そしてお母様を苦しみから救うということは自分をも救うということです。
そんなことを考えながら、これからのことを前向きに考えてみてくださいね。
何か少しでも参考にしてみてください。
質問者からのお礼
早々にお言葉をありがとうございます。感謝しております。
そうですね。供養してあげるしかないんですよね。母が少しでも穏やかでいられるように。
そして私もあらゆる事において後悔することのないように日々を過ごしていきたいと思います。
元気になった姿を早く見せたいです。
本当にありがとうございます。