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家庭を機能させるということ

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以前、自分が毒親であることについて質問させていただきました。今、娘は精神科に入院しています。そして夫と二人三脚で娘を支えていくようにと教えていただきました。

ここで以前、言えなかった別の問題があります。娘の体調不良がわかった同じ時期に、私の不貞行為を夫に知られたのです。私は不倫相手と口論になり警察を呼ぶ羽目となりました。そして不倫相手とは二度と接触しないという上申書を書き、夫が身元引き取り人として警察署に来てくれました。

夫は婿養子です。地元を離れ私の故郷に来てくれ、こちらで転職しました。自宅は私の両親から与えられた家です。

こういうことがあり、娘を支えなければいけないときなのに、夫とまともに話すことができずにいます。とても怒っているのが伝わってきます。二人三脚できそうもありません。
娘が大変な時期に私は何てことをしたんだろうと本当に反省しています。
娘も私たち夫婦の様子がおかしいことを敏感に察しているように見えます。娘には話していません。
夫は離婚したいのかもしれません。ただ、夫には帰る実家がありません。
いまは少しずつ話しができるように様子見をしている状態です。
いまの家庭の状態では娘が退院しても、また悪化してしまいそうです。
どこから治していけばいいのかわかりません。どうしたらいいのかわかりません。

私の両親には私の不貞行為のことを話しました。両親は夫婦のことは夫婦で解決しなさいと言いました。そして2人で娘を支えていくようにと同じアドバイスをもらいました。

うまく伝えられなくてすみません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなた御自身が「心の治療」に真剣に向き合いましょう

 本当にご家庭が大変なことになっていらっしゃいますね。御心中をお察し致します。
 ただ、今のご家庭の状況を招いたのはあなた御自身の行動も原因ですね…と申さざるを得ないようです。
 そして、そのことはあなた御自身も感じていらっしゃることでしょう。
 あなたを責めるつもりはありません。ただ「あなたが希望するご家庭を取り戻す」為には、あなた御自身が心の治療を受けられることが大切かと思います。
 勇気を持って、まずは心療内科等を受診をなさって下さい。今の御心の状況を医師にきちんと説明し、出されたお薬をちゃんと服用なさって下さい。
 「毒親」も「不貞」も「警察沙汰になるほどの不倫相手との口論」も「夫君と上手く話せない」ことも、すべてあなた御自身の心のご病気が遠因あるいは直接原因なのかも知れません。
 だからあなた御自身を責めるつもりはありません。又、あなたが御自身を責める必要もありません。
 ただ、御自身が心の病を抱えている身であり、そのことで家族に負担を掛けていること、またそれらのことは治療によって改善することが見込めること。
 そのことをご自身でしっかりと受け止めた上で、まずは夫君に率直に今のお気持ちをお話しなさって下さい。必要ならば不貞の件の許しを乞うて下さい。
 本当にいろいろとお辛いことかと思います。
 ただ、あなたの今の状況を生み出している原因が病気の可能性が高い以上、その病気の治療によって必ず光明が見えて来ると思います。
 時間は掛かるかも知れませんが、真剣に治療に向き合っていきましょう。お幸せな家庭を取り戻しましょう。
 不可能なことではありません…仏様も支え、応援なさって下さっていますよ。

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有り難し
おきもち

心底懺悔して 心底改心して 心底善導する気持ちを持つ

本当に悪いと思うと態度や言動、表情にもあらわれます。
人類の歴史は何千、何万年でも人間の現役時代の一生はたかだか50年。
子育て期間も十数年、二十数年。
その中であなたが本気になることです。
その気があれば当山に家族全員でお互いに心を良い方向に向かせていくために人生の再スタートとして家族でやり直しのために足を運んでみてください。
家族の問題は家族数人の中で誰か個人だけが良くなってもうまくいかないものです。
皆がみんなでそれぞれ悲しんだ、苦しんだ現実があるのですからそこを公的な第三者を交えてみんなでよい方向に向かうように話を進めていくことです。
家族同士でレフェリーなしに上手に話し合いができるのであればそれで問題ないでしょうが、感情的になって話し合いにならないようであれば、第三者を交えた方がいいと思います。
うちでなくても菩提寺さんなりに相談するのも良いでしょう。
私個人としては菩提寺や近所よりも見ず知らずの土地の二度と会うこともないぐらいの坊さんの方が話しやすいかと思いますが、その辺はご本人様のご判断にお任せいたします。
単純にきちんと話し合うことを話し合って、やってはいけないことをやらないことと、お互い不満に思っていることなどをきちんと話し合っていい状況に向かわせるということが大切だと思います。
私は誰の見方もしません、公的な第三者の立場で家族関係の修復を行うことも依頼をされれば承っております。
関心があればご連絡ください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お言葉、ありがとうございます。聞いていただいて気持ちが軽くなりました。自分自身の治療、しっかりしていきます。

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