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同じ過ちになるのか?

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有り難し有り難し 23

抽象的な内容での投稿をお許し下さい。

私は過去にAとBの2択の選択を間違え、大切なものを失いました。

Aは得られるものもあるが、大切なものを失う。
Bはリスクが大きく、且つ困難で、Aよりも失うものが多いかもしれない、でもうまくいけば失わずに得られるものも大きいかもしれない。

その時は1人で悩み、Bのリスクが怖くてAを選択しました。
Aで得られたものより、失ったものが悲しくて、選択を間違えたと思いました。
その事をずっと後悔してました。
次は、Bを選択すると決めました。

また、同じ選択を迫られました。
前回選ばなかったBを選ぶと決めていたのに、リスクが怖くなり、どちらが良いかわからなくなりました。
そこで、今度は信頼できる人に相談しました。
必死に考えて悩みに悩んで、結果同じAを選択しました。
今度は2人で考えた結果なので、辛いけど正解なのかと思い、選択しました。
でもやっぱり同じように後悔して辛いです。
辛くて、やっぱり選択を間違えたと思ってます。

経過が違っても結果が同じでは、同じ過ちの繰り返しになりますか?

同じ事を繰り返して本当に愚かだと自己嫌悪に陥っています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生は選択の繰り返し。選んだら覚悟を決め、責任と納得をね。

それは、誰にもわからないのではないかしら。
たとえ、選んだのがAであっても、それだけで出た結果なのかな。その場で結果が決まるクジじゃないのだから、やはり選んで、尚且つ、あなたが歩んだ先に感じたことでしょ。歩み方に問題があるのか、あなたの評価に問題があるのか、どうなれば間違いではなかったと言えるのか、

それは、あなたの受け止め方次第なのではないでしょうか。

どんな人も、生きるということは常に選択の繰り返しです。選んだら覚悟を決め、責任と納得をね。

あなたが、過ちだと思えば、過ちなのでしょうね。

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として、慌ただしく過ごしております。 ◆ゲートキーパー ご相談 駆け込み寺 (訪問は要予約。まずはメールでお問い合わせください) ◆ビハーラ僧、終末期ターミナルケア、看取り、グリーフケア、希死念慮、自死、産前産後うつ、育児、DV、デートDV、トラウマ、PTSD、傾聴、手話、要約筆記、電話相談員、小学校支援員としても、サポートしています。 ◆一般社団法人『グリーフケアともしび』理事長 【ともしび遺族会】運営 毎月 第1金・昼夜2回開催(大阪駅前第3ビル) 14:00〜,18:00〜 お問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com *この活動は皆さまのご支援により支えられております。ご協力をよろしくお願いします。 ゆうちょ銀行 口座番号 普通408-6452769 一般社団法人グリーフケアともしび ◆『ビハーラサロン おしゃべりカフェひだまり』 ビハーラ和歌山代表 居場所運営 問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com ◆GEはしもとサピュイエ 所属 (Gender Equality 誰もが自分らしく生きることができる社会をめざして)DV・女性支援 ◆認定NPO京都自死自殺相談センターSotto 元グリーフサポート委員長(2018〜2024) ◆保育士.幼稚園教諭.小学校教諭. レクリエーションインストラクター 10年間 保育 教育の現場で 総主任として勤めた経験も生かしつつ、お話できることがあれば 幸いです。 いつも あなたとともに。南無阿弥陀仏 ここでは、宗旨を問いません。 まずは、ひとりで抱え込まないで。 来寺お問い合わせは⬇️こちらから miehimeyo@gmail.com ※時間を割いて、あなたに向き合っています。 ですので、過去の質問へのお返事がない方には、応えていません。お礼回答がある方を優先しています。 懇志応援も宜しくお願いします。 ※個別相談は、hasunohaオンライン相談より受け付けています。お寺への いきなりの電話相談は受け付けておりません。また夜中や早朝の電話もご遠慮ください。 法務を優先させてください。
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人生同じ事は何一つないと心底知る

頭で考えていると同じことの繰り返しと思ってしまう。
ですが、同じ人との会話ですら今日と昨日とでは違うはずでしょう。
同じ人と同じ日の会話ですら重ねるたびに異なる。
同じ椅子に座っていても、同じ布団で寝ていても、体への圧や負担だって毎回異なっているのです。

あなたが問題視するべきなのは、評価や判断による「損ない」の感覚。
本当に優先するべきはあなたの脳内ジャッジよりも変えられない過ぎたことよりも、今日のいまの、そこのその場所の二度とないことをおろそかにせずに分厚い手袋を脱ぐつもりでダイレクトに手ごたえを感じることです。
人生は評価の回数は少なければ少ない方がいいのです。
オリンピックですら、評価や点数よりも実質がどうか。
開催される国が国ならば審査員の買収で本当に勝つ人でも負けてしまう。
人生は評価に手ごたえを見出すことよりも実地、実質、実際がどうか。
あなたはあの時のことを後悔して、何度も生きた今日を見逃していますが、その過去を嘆いている間もあなたは今日の若さ、今日幸せになるべきチャンスを見失って言っていることを忘れてはならない。
理想は追い続ければ終わりはありません。
世界二位、銀メダルで泣いてその後の一生をずっと暗い心で過ごしているのが今のあなたの状態に近いように感じます。それを嘆くことよりも、銅だろうがメダルがあろうがなかろうが今日を笑顔で生きることの大切さを見失ってはいけません。
そこにはまだ価値を見出すことができないかもしれませんが、本当はそこに金メダル以上の価値のある二度とない一日、二度とないひと時があるのです。

問題なのは同じ過ちを繰り返すことが問題なのではない。
今日という人生の最終日で、今日も今も、またしても後ろ向きに暗い評価を下しては今日という輝かしい一日をダークに塗りたくって過去も現在も未来も灰色に染めていることに「今」「まだ」気づかないあなたの要らぬものをつかんで離せない手のような執着。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
何度も読ませて頂きました。
私の受け取り方次第で、間違えでも正解にもなる、本当にその通りですね。
選んだことに対して後悔するということは、覚悟が足りなかったのかもしれません。
いつまでも後悔して、過ちと思うのはやめて、一生懸命考えた結果だから受け入れようと思います。
ありがとうございました。

丹下様
回答ありがとうございます。
Aを選んで失ったものへの執着、Bを選んでいれば得られたものへの執着に囚われて毎日を過ごしていました。
どうしようもない事をいつまでも悩んで、日常をおろそかにしてはいけませんね。
過去を受け入れ、執着から開放されたいです。
この先、笑顔で過ごせる様に、今を一生懸命生きていこうと思います。
ありがとうございました。

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