同じ過ちになるのか?
抽象的な内容での投稿をお許し下さい。
私は過去にAとBの2択の選択を間違え、大切なものを失いました。
Aは得られるものもあるが、大切なものを失う。
Bはリスクが大きく、且つ困難で、Aよりも失うものが多いかもしれない、でもうまくいけば失わずに得られるものも大きいかもしれない。
その時は1人で悩み、Bのリスクが怖くてAを選択しました。
Aで得られたものより、失ったものが悲しくて、選択を間違えたと思いました。
その事をずっと後悔してました。
次は、Bを選択すると決めました。
また、同じ選択を迫られました。
前回選ばなかったBを選ぶと決めていたのに、リスクが怖くなり、どちらが良いかわからなくなりました。
そこで、今度は信頼できる人に相談しました。
必死に考えて悩みに悩んで、結果同じAを選択しました。
今度は2人で考えた結果なので、辛いけど正解なのかと思い、選択しました。
でもやっぱり同じように後悔して辛いです。
辛くて、やっぱり選択を間違えたと思ってます。
経過が違っても結果が同じでは、同じ過ちの繰り返しになりますか?
同じ事を繰り返して本当に愚かだと自己嫌悪に陥っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生は選択の繰り返し。選んだら覚悟を決め、責任と納得をね。
それは、誰にもわからないのではないかしら。
たとえ、選んだのがAであっても、それだけで出た結果なのかな。その場で結果が決まるクジじゃないのだから、やはり選んで、尚且つ、あなたが歩んだ先に感じたことでしょ。歩み方に問題があるのか、あなたの評価に問題があるのか、どうなれば間違いではなかったと言えるのか、
それは、あなたの受け止め方次第なのではないでしょうか。
どんな人も、生きるということは常に選択の繰り返しです。選んだら覚悟を決め、責任と納得をね。
あなたが、過ちだと思えば、過ちなのでしょうね。
人生同じ事は何一つないと心底知る
頭で考えていると同じことの繰り返しと思ってしまう。
ですが、同じ人との会話ですら今日と昨日とでは違うはずでしょう。
同じ人と同じ日の会話ですら重ねるたびに異なる。
同じ椅子に座っていても、同じ布団で寝ていても、体への圧や負担だって毎回異なっているのです。
あなたが問題視するべきなのは、評価や判断による「損ない」の感覚。
本当に優先するべきはあなたの脳内ジャッジよりも変えられない過ぎたことよりも、今日のいまの、そこのその場所の二度とないことをおろそかにせずに分厚い手袋を脱ぐつもりでダイレクトに手ごたえを感じることです。
人生は評価の回数は少なければ少ない方がいいのです。
オリンピックですら、評価や点数よりも実質がどうか。
開催される国が国ならば審査員の買収で本当に勝つ人でも負けてしまう。
人生は評価に手ごたえを見出すことよりも実地、実質、実際がどうか。
あなたはあの時のことを後悔して、何度も生きた今日を見逃していますが、その過去を嘆いている間もあなたは今日の若さ、今日幸せになるべきチャンスを見失って言っていることを忘れてはならない。
理想は追い続ければ終わりはありません。
世界二位、銀メダルで泣いてその後の一生をずっと暗い心で過ごしているのが今のあなたの状態に近いように感じます。それを嘆くことよりも、銅だろうがメダルがあろうがなかろうが今日を笑顔で生きることの大切さを見失ってはいけません。
そこにはまだ価値を見出すことができないかもしれませんが、本当はそこに金メダル以上の価値のある二度とない一日、二度とないひと時があるのです。
問題なのは同じ過ちを繰り返すことが問題なのではない。
今日という人生の最終日で、今日も今も、またしても後ろ向きに暗い評価を下しては今日という輝かしい一日をダークに塗りたくって過去も現在も未来も灰色に染めていることに「今」「まだ」気づかないあなたの要らぬものをつかんで離せない手のような執着。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
何度も読ませて頂きました。
私の受け取り方次第で、間違えでも正解にもなる、本当にその通りですね。
選んだことに対して後悔するということは、覚悟が足りなかったのかもしれません。
いつまでも後悔して、過ちと思うのはやめて、一生懸命考えた結果だから受け入れようと思います。
ありがとうございました。
丹下様
回答ありがとうございます。
Aを選んで失ったものへの執着、Bを選んでいれば得られたものへの執着に囚われて毎日を過ごしていました。
どうしようもない事をいつまでも悩んで、日常をおろそかにしてはいけませんね。
過去を受け入れ、執着から開放されたいです。
この先、笑顔で過ごせる様に、今を一生懸命生きていこうと思います。
ありがとうございました。