コロナと五輪に纏わる、相反する感情
自分の中での相反する感情をうまく言語化できず、腹落ちしません。
今日本は新型コロナ感染症により、大きな制限を強いられています。こういった状況のなかでオリンピックという世界各国から多くの人が集まり、密が繰り返され、いくら感染対策を取っているとはいえ、感染症の拡大防止の観点で言えば何一つとして良い点はありません。
私自身「こんな状況の中で」こんな行事を開催するなんて一体どういうことなんだろう、そういった気持がありました。
一方でオリンピックがいざ始まってみると、自分の好きな競技であるサッカー日本代表戦をテレビで観戦・応援し彼らの活躍する姿には感動點せられっぱなしでした。
ここで腹落ちしないのはあれだけ憤りを感じていたオリンピックを自分が応援してしまっている、そういう相反することをしていることです。
コロナ感染拡大の状況に対する懸念と、オリンピックで日本を代表として善戦する姿を応援すること、これらは全く別の次元の問題であることはなんとなく頭の中で理解しています。
しかしながら「そういった相反することをしているけどどういう気持なのか?」そう問われるとうまく言葉にして説明できず、非常にもやもやしています。
コロナについて言えば、自分自身の健康はもちろんのこと、他者に対して万が一迷惑をかけないように常に自宅勤務ですし、外出も極力控えています。また、日々の生活に困窮している皆様がいることも理解していますし、医療従事者やエッセンシャルワーカーに対する敬意は常に払っています。
オリンピックについて言えば、彼ら選手たちの気持ちになってみれば人生を賭してといっても過言ではない気持ちで望んでいることは想像に難くありません。そういった人々に対する敬意もありますし、だからこそ応援したいと考えています。
ここまで書いてもなお、いまいち腹落ちしていないというか、なにか引っかかる部分があります。
皆様のご意見をお聞かせいただければと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
世の中は「自分中心」にはできていないんですよ
質問読ませていただきました。
相反する感情故の自己矛盾にもやもやされているのですね。
私もコロナとオリンピックについては、Juneさんと同じようなことを少し思いましたので返答させていただきます。
さて人間というものは、どうしても自分中心にものを考えてしまいます。自分中心というとエゴのように聞こえてしまいますが、そうではなくて自己を中心点とした一方向的なものの考え方という意味です。
もちろん、他人の心を読み取ることはできませんので、これはある意味仕方がないことかもしれません。
しかし、世の中は自分の考えのみでは構成されていません。無数の他人の考えや思いが交錯して、それらが世の中を作り上げているのです。
そういった世界の中で、自分中心の考え方における矛盾点や、自己実現の難しさについて人は悩み苦しんでいるのです。
しかし今回のことを通してJuneさんは、様々な人の考え方が交錯する多角的なものの考え方、世の在り方を身をもって体感されました。
これは仏教でも大切なものの見方なのです。
どうしても自分中心の一方向的なものの見方では、人生は行き詰まってしまうことがあります。もしくは、「自分が正しい」という考え方に陥って他人を受け入れられなくなります。
そういった「自分中心」に陥ることなく、俯瞰的に世の中を見つめて冷静に自分の立ち位置や考え方を把握していくことで相手を受け入れていく。これが大切なのです。
もちろん、それを実践することはとても難しいことでしょう。人間には生身の身体や感情や欲求があるので、どうしても「自分中心」の考え方にならざるを得ません。
しかし今回のことを通して、少しでも「多角的な世界の見方」という部分に触れられたのであれば、それはとても意味あることですし、ご自身の今後の人生の歩み方にも少なからず影響を与えるのではないでしょうか?
そういう意味において、とても有意義な経験だったと思いますよ。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。