いずれ死ぬのだから真面目に生きなくて良い
人はいつか必ず死ぬのだから真面目に生きなくて良いという考え方は極端だと思いますか?
真面目、不真面目の境界線がそもそも曖昧ですが、遊びほうけるという意味合いではなく、図々しさもあって良いという感じです。
こう考えるようになったのは自分が学生の頃、優等生キャラで過ごしてしまって大人になり仕事も出来なければならないという強迫観念に襲われ長期的に苦しんできたからというのもあります。
今の時代、闇雲に頑張るものでもないと考えるようになりました。
簡単に効率良くやる。これが100%正しいとも言えませんが、キッチリとルールを守る模範的な生き方が苦しくなってきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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いずれ死ぬのなら、精一杯生ればいいのです。
わたなべさんのご意見もなるほどと思います。
人間は死んだら、すべて無になるという考え方であれば、それで充分ですね。
ただ、そうでないとなれば話は違ってきます。
私は、死んでも無にならないと考えていますので、真面目に生きなくてもいいとは思えません。
でも、わたなべさんが言われるような「今の時代、闇雲に頑張るものでもないと考えるようになりました。」と、これは今日までの経験上思われたことだと思います。又、「キッチリとルールを守る模範的な生き方が苦しくなってきました。」それがいいとか悪いとかではなく、今日までの生き方を少し自分らしくしていきたいと思われたのでしょう。
どのように生きるかは自由です。誰にも束縛されていません。ただ自分自身で勝手に、こうでなけらなならないと規定しているだけです。
そう意味では、そのような呪縛から解放されたら、とても生きやすくなるでしょう。
いずれ死ぬから真面目でなくてもいいというのは極端かもしれませんが、死ぬ気で何事も頑張れば後悔しないということかもしれません。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
大変参考になりました。