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不倫をしてしまいました

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同じ会社の先輩と不倫をしてしまいました。入社して5年、ずっと憧れの先輩でした。ただ恋愛としての好きではなく仕事の姿勢や考え方が好きで尊敬の気持ちでした。
それが、出張の際連絡を取り合う中で好意を持って接してくれていることが発覚。ずっと憧れの先輩だったからこそ私は嬉しくて嬉しくて、体の関係を持ちました。
仕事帰り週5回は私の家で一緒にご飯を食べる生活。深夜に帰る先輩が、既婚者であることも、守るべき家族、二人のお子様がいることも知りながら、一時の自分勝手な幸せに酔いました。
2ヶ月後、先輩の奥様がGPSを使用し関係が発覚。慰謝料の話や今後の話合いをこれから行います。
こうしたことになっても先輩は、本当に愛してるのは私だと、そう言われ信じてしまいそうです。でも、子供のために離婚はしない、と言われています。
今は全く会わないようにしています。仕事も在宅勤務に切り替えました。一度会ってしまうと、また同じことを繰り返してしまいそうです。引継ぎもあり、来月の退職を考えています。
連絡をとることをやめられません。また落ち着いたら会いたい、どうにかして連絡はとっていたい、長くこの関係を続けたい、と言われています。
やめなければならない、別れなければいけないと分かっています。
自身の父が不倫をした経験もありその時の母の姿をよく覚えています。だからこそ、今奥様と家族がどれだけ苦しい中にいるのか想像を絶するくらいとわかっています。
それでも幸せだった時間を忘れられません。許されないことと知りながら、好きな人に心から愛されてると思えた時間でした。一緒に歩いた道、買い物したコンビニ、どこにいても何をしても先輩のことを思い出してしまい辛いです。
時間が経つのが遅いです。仕事の時だけが何も考えずに黙々と取り組めるので楽になれます。その仕事ももうすぐで辞めることになる。
何もかもなくなってしまうこれから先の不安。お金の面も生活のことも、こんな自分がまた誰かを好きになれるのか。そもそもこの感情を抑えられるのか。
一つの家族を崩壊させた罪。それでも好きな気持ちが抑えられない自分が本当に嫌です。罪を受け止めるには、もう二度と同じ過ちを繰り返さないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?
この気持ちに踏ん切りをつけるにはどうしたらいいでしょうか。
乱文で申し訳ありません。どうか、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分中心に生きることを見直す

こんにちは。

「不倫」って何がいけないのでしょう。

法律、道徳、倫理以外の仏教で言うならば、それは自分勝手に酔っている、並びに酔っていること自体に気が付かない、これが根本的な問題なのです。だから、その自分勝手をし続けた延長上に大きな苦しみに出会って初めて問題意識が芽生えるのです。

しかし、いままでの習性で自分勝手以外の方法が思いつかない。
「一つの家族を崩壊させた罪。それでも好きな気持ちが抑えられない自分」というのは、まさに今までの生き方以外に方途が見つからなくて途方に暮れている姿、そのもののように見えます。

新しい生活を始めたいのなら、今までの自分の価値観を一度すべて脱ぎ捨てる覚悟が必要でしょう。

あなたは、以下の経過を辿っています。

「仕事の姿勢や考え方が好きで尊敬の気持ち」
 ↓
「好意を持って接してくれていることが」「嬉しくて嬉しくて、体の関係」
 ↓
「既婚者」「守るべき家族、二人のお子様がいることも知りながら」「自分勝手な幸せに酔」う
 ↓
「不倫」が「発覚」、「慰謝料の話や今後の話合い」をする段階に至ってもなお「愛してるのは私だと、そう言われ信じてしまいそう」
 ↓
「奥様と家族がどれだけ苦しい中にいるのか想像を絶する」と「わかってい」ながら、「それでも幸せだった時間を忘れられ」ず、「心から愛されてる」という思いが捨てきれない。

「二度と同じ過ちを繰り返さない」ためには、先に述べたように自分中心の延長上には苦しみしかないことを知ることです。

彼は、自分中心そのままにあなたと関係を持った。
あなたも、「既婚者」と知っていて自分中心に受け入れた。
彼は、再び自分中心に「愛」を語る。
あなたも、再び自分中心に「愛」だと思う。
相手のご家族がいる、自分の母親も苦しんだことを知りながら、自分の世界の中だけで「愛」だ、「幸せ」だと思う。

もう、やめませんか。
自分中心にのみ生きることを。
自分の殻の中だけで生きることを。

自分中心の延長上に、「幸せ」も、「愛」も決してありません。
相手の人生を本気で心配し、どこまでも一緒に生きる覚悟をもつ。
自分中心を省みて、慎んで、少しでも改善してできるだけ心から思い遣り合える生活を志向する。
決して後ろ指を指されることのない、大手を振った関係。

そこにしか、「幸せ」も「愛」もありません(字数制限)

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

本当にありがとうございました。
お言葉一つ一つが心に刺さりました。
私と相手が語る「愛」や「幸せ」は本当の意味で相手のことを思ったものではなく、自分中心の延長上であるということ。
とても理解ができました。
「相手の人生を本気で心配し、どこまでも一緒に生きる覚悟をもつ。 」
仰っていただいた言葉、それこそが本当の「愛」であり「幸せ」なのだと思いました。
いつか本当の意味で誰かを思い遣れるように、今は自分がしてしまったことにしっかりと苦しみ、考え、それを受け入れます。
自分中心の生き方をやめます。
本当に、本当にありがとうございました。

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