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すぐに別れると言う彼氏

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有り難し有り難し 17

付き合って8ヶ月、バツイチの子どもなしの彼氏についてです。

付き合った当時から前の妻と会ったり連絡をとっていました。
また、女友達も多くよく連絡をとっていることも知っていました。
そのことは承知でしたが、家に呼んだり行ったり、もちろん泊まるなどはしないと信じていました。

少し前に前の妻と会う時は泊まることもあると聞いてそれだけは嫌だと言いました。
わかったとは言いましたが、どうも信頼できないところがあり、疑いが消えません。
最初は彼も気になったらなんでも聞いてと言ってくれていましたが、最近は少しでも不安な気持ちを言うと

もう無理
信頼できないなら
別れよう

と言います。私は、不安な気持ちを否定してくれたらそれでいいのにと思いながらも
結局は
なんでそんなこと言うの?
ごめんなさい
と謝ってしまいます。

謝らないと
口答えするな
とか
人を疑って嫌なことばかりする
とか
やめてくれって言ってるのをやめない
など、わたしが全面的に悪い感じで、別れると言われます。

自尊心もなくなり、毎回真実も分かりません。
別れてしまえば楽かもしれませんが、好きで後悔したくないので別れたくありません。

でも、すぐに別れようと言われると言うことは彼は私のことはそこまで好きではないのですよね…この場合はほんとうは、別れた方がいいのでしょうか?

私が依存してるだけですか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

リスクの高い男とは付き合わない

そもそも前の女性からもNGを突き付けられている男性です。
あなたも同じ道をたどるでしょう。
しかも今の時点でエゴ丸出し。自分本位。
世の中の娘を持つ親御さん、お父さん目線で申し上げれば、男というものはまず家族を第一に考える男性でなければ結婚も交際もNGです。
自分ファースト、俺サマ至上主義の人間は家庭的ではありません。
あなたが男性に見抜くべきポイントは「俺サマオーラ」の程度。
それが強い男はやめた方が良いでしょう。
あなたが相手の人格を勝手に期待して自爆こいても誰も救われません。
あなたの親も生まれてくる子供も可哀そうです。
女性が男性、パートナーを選ぶということも実は責任があるのです。
皇室も今大変なことになっているわけですから、知りませんでした、人生経験不足でしたではお話にならないのです。
みんなそれで失敗して前の奥さんも「失敗」したのです。前の奥さんは奥さん自身が失敗したのではないという目線を持ちましょう。男選びに失敗したのだと思うべきです。ただでさえ今の時点で独裁政権が発動中なのに別れたいという心理にならないあなたはとても危険な心理にあります。結婚はその後何十年も続くのです。ただでさえ相手はリスクを抱えている状況なのですから、本当は優位に立つべきは貴女なのです。男性の中には女性の出産・結婚のギリギリの時期を心得てどうせ別れられないだろうからとしてマウントをとってくるような人間がいますが、男性としても人間としても最低の行為ですからそのようなエゴイストは家庭的な男性とは言えませんので絶対にお付き合いしてはいけません。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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