娘が苦しくなかったか
2020年10月に臨月で2人目の子を亡くしました。原因不明でした
当日の検診まで元気に動き回っていました。
私のお腹の中で苦しくなかったか、幸せだったのかどうしていなくなってしまったのか
最近1年前と同じように涼しくなり、きのうのことのように思い出してしまいます。
前を向こうと思う日もあれば、泣いてばかりで何も手につかない日もあります。
長女にも、亡くなった次女にも申し訳ない
ごめんねと思うより、ありがとう大好きだよと伝えたいのに、難しいです。
自責の念が消えません。でもそれはあたりまえのことで、だれがなんと言おうがわたしのせいだと思ってしまいます。
娘が苦しくなかったか、そこだけがどうしても知りたいですが無理なのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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苦しまず、お母さんありがとう〜また後でねと待ってくれています
私も同じ経験をしています。
私のせいで…いつまでもそう思ってしまうよね。私の体の中で胎動を感じ、確かに生きていた命なのです。私の声に反応して返事をくれていた命です。たくさんの愛情を注ぎ、名前を呼び、会える日をどんなに望んだことか。10ヶ月大事に大事に育ててきたのです。それなのに会えないまま、別れなければならないなんて、悲しくて苦しくて、自分を責めるしか生きていけない。ごめんね、あなたを一人にして許して。その子に対して思う事は、そればかり。
あなたも、そうなのではありませんか。周りが誰のせいでもないよと支えてくれても、どうしても私が何とかできたのではないかと、そればかり考えて悔しくて堪らないのですよね。
私は10年以上経ちますが、やはり大切な命を忘れた事はありません。そのたびに自分を責める。それでもね、「心配いらないよ〜あの子は私が引き受けたよ〜あなたが来るまで私が責任を持って育てるよ」と、お浄土の阿弥陀さまという仏様が声をかけてくださるのです。
とても優しい声で、あたたかく私を包んでくださる。南無阿弥陀仏は、私とあの子を繋いでくださる安心のお念仏。
あれから、先に往生なさった方々が、みんなであの子を可愛がってくださっていると思うと、少しずつ悲しみが安心へ変わってきました。私にとっては、なもあみだぶつのご縁に出遇ってなければ、今も苦しみで立っていられなかったことでしょう。仏様というのは、そんな私の心もゆっくりと救ってくださいました。
あなたの娘さんには、命を大切に思う仏様が離れずそばにいてくださったと思いますよ。
苦しまず、お母さんありがとう〜また後でねと、先にお浄土で待ってくれています。
あなたが手を合わせる姿を、ちゃんと見ていてくれます。
自分を責めてしまう日もあるでしょうが、手を合わせながら、あの子に聞いていきませんか。そして、あなたは大切な私の子どもよと、どうか伝えてあげて下さいね。あの子にとって、それが何よりの喜びになっていきますよ。あなたは、これからも、あの子のママよ。
質問者からのお礼
この度は、おいそがしい中ご回答をありがとうございます。
同じ経験をされたとのこと。何度も何度も読み返しました。「また後でね」この一言に救われた気がします。娘が楽しく笑っていられるよう、大切な娘なんだよって毎日伝えたいと思います。かわいい娘が、どうかみんなにかわいがられていたらいいなと思います。本当にありがとうございました。