虐待のニュース
2歳の甥っ子がいる独身女です。
このところ、小さな子供の虐待のニュースや事故のニュースを見るのが辛くて涙が止まらなくなり吐き気すらしてしまいます。 見なければいいと思い、テレビのニュースはほとんど見ないのですがスマホで検索サイトを見るとどうしても目にしてしまいます。
私は出産経験もないのに、甥っ子が身近にいるからか胸が苦しくなりその事件の事ばかり考えてしまって数週間引きずってしまい、一人でよく泣いてしまいます。
コロナ禍でストレスも溜まっているのかもしれません。
どうしたって助けてあげる事はできない、自分は無力でしかないのに、何もできない子供が辛い痛い思いをして死んでいく事が受け入れられないです。
鈍感になって間に受けないようにすればいいのでしょうが、どうすればいいのかわかりません。
考えたって仕方ないかもしれないですが、苦しく、悲しいです。
何の罪もなく亡くなった子供は、あの世で幸せになれますか?
残虐な殺し方をした人間はあの世で苦しみますか?
他人なのに、許せなくて辛いです。
お考えをお聞かせ願います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
虐待は社会問題の面もある。身を動かすことが大事では?
考えを聞かせて下さいということですので、個人的な意見ですが述べさせて頂きます。
私は思うんです、多分私たちも、この問題に苦しまなければならないのだと思います。一緒に苦しまなければならない。辛いですけど、受け入れられないままに、この問題に一緒に悩んでいく、聞きたくない問題です。でも一緒に苦しむ責任のようなものがある気がするのです。
おそらく質問者さんはこの質問をした根底に「虐待した人が、地獄へ行く」と聞いて安心したいところがあるのではないかなと思いました。「虐待した人は地獄へ行きます。虐待された子は極楽へ行きます。安心して下さい」と言えば、我々は安心し、虐待の問題を少し忘れて生活していくことができるでしょう。でも我々が本当に心の底から求めているのはそういう事なのでしょうか…。多分虐待される子が最後の一人までいなくなるまで我々も一緒に本当は苦しまなければならないのではないか。(仏様はそうします)そう思います。だとすれば、私たちにできるのは、嫌でも・辛くてもしっかり社会の問題に目を開いて、何か自分ができる行動を一つでも起していくそういう事なのではないでしょうか。社会に働きかけていく。
虐待は社会問題の側面があります。もし、保護者がもっと余裕があれば、保護者をサポートするような環境があれば、社会全体で子供を本当に育てていく環境が整っていれば、きっと虐待は減るはずです。例えば社会保障・教育に力を入れているフィンランドは最も児童虐待の件数が少ないです。日本は子供の安全が低い国です。これは、社会問題の側面がある。だから、それを放置し続けている我々も虐待に無関係ではない。簡単に心の問題・来世の問題にせずに、まず我々は社会や教育の状況を少しでも良くするために運動しないといけないと思います。そういう側面を忘れてはいけないと思います。少しでもそういう運動に参加していく事を少なくとも気づいた人はしないといけないのではないでしょうか?
その上で仏教の教理から言えば、(私の専門としている浄土真宗の場合です)子供を虐待した人は、もしその事を本当に懺悔しなければ、輪廻し、その罪を償うまで苦しみます。一方虐待された子は、仏の慈悲により仏になります。しかし、問われているのはこの問題を目撃している私達だと思います。虐待がある世界に生きている私たちは本当に虐待する親や子と違うのかを問われています
善は能力の一つ
善人であることは、能力の一つだと思います。
能力だから個人差・個体差があります。
仏教では「人間」という概念も幻だと考えます。
つまり、「同じ人間だから」という前提で考えても納得できないでしょうけど、姿なヒトでも猫並みの知性しかない個体も世の中にはいると考えれば納得できます。
猫のオスは、メスが連れている子猫を殺すことがあります。
子猫を失った母猫は再び発情するようになり、オス猫は恋愛のチャンスを得られるのです。
人間も、一歩間違えばけだもののように行動します。
煩悩を制御して善人で居続けるためには、かなりの能力(素質×修行)が必要なのです。
質問者からのお礼
釈義光様
お返事ありがとうございます。
仰る通りです。事件や事故にあまりに救いがなく、釈義光様が仰るような事を言ってもらえたらと期待していました。
私は目を背けたいわけではないのですが、今できる事は甥っ子を大切にすること、妹(甥っ子の親)を大切にする事しかないのかなと思っています。
教えていただいたように、虐待を防ぐには傍観しているだけではダメで自発的に動いていかないといけないですね。
ただ、今の自分は受け止めることもままならずメンタルが追いついていないので、もう少し落ち着いて考えられるようになったら積極的に学んでいきたいと思います。
とても刺さるお言葉でした。
ありがとうございました。