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元彼を忘れたい

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有り難し有り難し 15

大学から新社会人になるまで、4年間お付き合いをしていた方がいました。
温かく、誰にでも優しく、賢くて、嫌なところが見当たらない私に勿体ない方でした。

心から愛していて彼と一緒になりたいと思っておりました。彼もまた、そう思ってくれておりました。私のために、就職先も私の住んでいる県にしてくれた程です。

しかし私は、新社会人になり浮かれておりました。彼を愛していた一方で、会社の先輩と何回かメールでやり取りを重ねてしまいました。そして親しくなり食事に誘われて内緒で出かけてしまいました。

彼がそれを知ったらどんな気持ちになるだろうと帰ってから後悔をしました。
ですが、行かなければよかったと思う気持ちと同時に先輩を想う気持ちもありました。…おかしくて理解できないかもしれません。
私は自分が可愛いばかりの我が儘女でした。よくないとわかりながら目先のことばかり。4年間付き合いドキドキする気持ちに慣れてしまった私は、先輩に告白され付き合うことを決めてしまったのです。

自身に向けられる愛情を当たり前のような気になってしまい、それがなくなったときにようやく気づくことになりました。

先輩に告白され、すぐに彼に別れを告げました。とても悲しい顔でした。
今も夢に出てくるくらい覚えています。
何度も何度も電話やメール、家にも会いに来ました。私は全て無視をしました。

先輩と連絡をとりあった日から罪悪感に苛まれ、それでも先輩と連絡を取り続け、別れる選択をしました。ものすごく後悔の毎日でした。

それでもありがたかったのは先輩もとても温かいだったことです。
3年お付き合いを重ね結婚しました。
主人を傷つける気も私は一切ありませんし、この胸の内を伝えることも絶対にありません。

ただ、高確率で見る夢は彼のことばかり。彼はもう愛する方が出来て幸せになりました。その旨のメールが私にきた最後のメールでした。

私は別れた日から彼のことがひとときも忘れられません。私の悪い部分にも幾度となく向き合って来ました。本当に良くなかったと感じております。もう思い返さないとなんどもなんども決めたのに、どうして浮かんできてしまうのか。苦しい日々です。
主人の愛情も片時も忘れたことはありません。忘れる努力をしてしまうせいか、一層出てきてしまうのです。こういったとき、どのようにすべきかアドバイス頂けると幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの本質につながる縁

こんにちは。

仏教では、自分中心の都合を押し通そうとして身を煩わし、心を悩ますことを文字通り煩悩といいます。つまり、自分で自縄自縛に陥る、それが人間だというのがその教えです。

自分は、我を通そうとして苦しんでいる。
それ自体に、人間は容易に気が付けません。

自分のことは自分が一番よくわかっているのではなく、自分のことは自分が一番よくわかっていないのです。

そこに気が付かせてくれるご縁、きっかけがあってこそ人間は初めて自分の姿に気が付けます。鏡があってこそ、初めて自分の顔の詳細が知らされるのです。

仏教では、その人間の本質、本性を100%把握することが可能なのは仏様の境地にあるお方だけですが、人間対人間でもその氷山のほんの一角を垣間見ることは可能です。

あなたは「自分が可愛いばかりの我が儘女でした」と書いています。
これは、今だからこそ振り返って言える言葉です。

少なくとも、あなたは当時の元彼さんに対しての「罪悪感に苛まれ」つつも、「それでも先輩と連絡を取り続け、別れる選択を」したのです。自分にとってそれがベストの選択だと思ったからでしょう。

あなたは、今「自分が可愛いばかりの我が儘」を通したことによる「罪悪感」に縛られている。しかし、考えてみれば元彼さんという鏡がなければ、あなたは自分のことをそもそも「我が儘」だと気が付けたでしょうか。

彼あってこそ、自分の、人間の本性の一端に触れることができたのではありませんか。

「主人の愛情も片時も忘れたことは」ない。
一方、今から元彼さんに直接できることは何もない。

しかし、だからといって「忘れる努力」が、方法としてそもそも適切なのでしょうか。

私は、あなたが人間の本質ということに気が付けた縁、あなたの本質につながる縁を「忘れる」ことが可能だとは思いません。人間の本質はその根底で一生続いていくのだから。

夫婦として、恋人として愛し合う。
現状、そういう形で元彼さんと関係を築くことはできません。

でも、自分を気づかせてくれた大切な人生のかけがえのない縁であった、そう思うことは可能です。彼が気づかせてくれた自分、煩悩を自分を少しでも慎んで、少しでも相手を思いやれる人間になりたい。そう思えるなら、心の奥底で人生の一部として、整理することができると思います。

忘れるのではなく、整理するのです。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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