除夜の鐘
コロナ禍発生と共に、大きく社会の在り方に変化がもたらされた令和の3年目も、残すところ、後2ヶ月を切りました。
通年行事やお参り,お見取り・お見送り。
普段はつい忘れがちになってしまっている 仏教 の在り方も、大きな過渡期を迎えていると思います。
〝葬式仏教〟など、揶揄されがちな寺院行事の中で、今でもまだ僅かながらにも残り伝えられているのが〝除夜の鐘〟ではないでしょうか?
数年前、他寺院の方がホームセンターでゴム製品を購入されており
「除夜の鐘が騒音との苦情を受けて鐘撞棒にゴムカバーを付けるのだ」
というお話しを伺って、とても驚愕したことを覚えています。
深夜の騒音として、除夜のお勤めの時間帯をずらした寺院もあったとか。
私の実家(真宗寺院)も、昨年は、例年の おでんの接待 など取りやめて、缶の甘酒で粛々ととり行いました。
問:皆さんの自坊では、昨年はどのような 除夜の鐘 を行われましたか?
また、今年はどのように執り行われますか?
一宗教行事としてだけではなく。
地元に根ざした 日本の文化・伝統 として。
これからも、末永く。
日本人の心に寄り添って在りますように。
2019年 8月4日 改 寺族の娘として生まれ育ち たくさんの方から頂いてきた たくさんの 御恩 を。 少しでも多くの人に返していきたいと思います。 宿坊経営について教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「除夜の鐘」はないけれど
こんにちは。
「除夜の鐘が騒音との苦情」、私のところではありませんが知り合いの寺院ではそのような訴えがあったと聞いています。これは、「除夜の鐘」だけではなく、今の社会一般に生じてきている現象だと思います。
例えば子供が公園で遊ぶ声がうるさい、という苦情が市役所に寄せられる。
これは私の地域だけの現象ではないでしょう。
それぞれに事情があるとは思いますが、一人の人が声を大きくすることで多くの子供たちが伸び伸びと育つ環境を無くしていいということにはならないと思います。
これは、「除夜の鐘」も同様で、昔からその地域にあるお寺の伝統行事、仏教の煩悩の数を象徴する鐘の数を打ち鳴らす一種儀式的な表現が、少数の意見によって半ば強制的になくしていいということにもなりません。それは良くない意味での権利の平等になると思います。
一方、自治会には加入しない(ごみは出すけれども)、近所づきあいはしないという地域の一員としてつながりを持たない人も増えています。地域という空間はあっても、一つ一つの家庭が横のつながりを持たない。こういった背景があって、自分の関係のない子供やお寺にものを言いやすくなっているのだと思います。
前置きが長くなりましたが、残念ながら私のお寺には「鐘」自体がありません。
ただ、除夜会というお勤めを、ご門徒さんと共に行うのが恒例になっています。一年の終わりを、仏様への感謝と共に迎えていくというのはとても得難いご縁です。今年は、なんとかコロナが落ち着きつつあるので、感染対策を十分に講じて無事に迎えられたらな、と思っています。
質問者からのお礼
お礼のコメントが遅くなり、申し訳ありませんでした。
各々の寺院さんで、それぞれの在り方がありますよね、、、
うちの実家では、お勤め自体は行うものの、まだ、おでん の 接待 は家族会議中です。
坊主 走り回る 師走 がやってきました。
どうか、お身体 ご自愛ください。
筒が無く、大晦日を務めあげられますように。