ぺっとについて
うさぎの病院がクズでした。
うさぎを見れる病院が少なぃ中、
見つけた病院に行ってみました。期待大で行ったのですが、明らかに職員がクズでした。
内容としては診察台に上げた瞬間うさぎが嫌がって診察室の中を跳ね回っても主治医は何もせず、そして再び『自分』が診察台の上に上げ、そうするとうさぎもその主治医が嫌な奴だと分かったのか普段はあげなぃような奇声を発し、それなのに無理やり診察し、更には説教じみたコトを言い出しました。自分が症状を丁寧に説明しても自分は医者だからとでも言ぃたそうな偉そうな態度で聞く耳を持たず終始不快でした。
そのうさぎは誕生月は分かっていたのですが日にちがわからなかったので自分の気に入ってる数字にしました。その数字もそのような奴のせいで清さが失われてしまったら嫌です。この感情はどうしたらぃぃでしょうか?
日本での出来事です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私の正直な所感を述べます
こんにちは。
あなたが、「期待大」で大切な「うさぎ」さんを診察してもらったのに、「期待」通りの対応でなかったのは残念だと思います。「説教じみたコト」「偉そうな態度」と感じざるを得ない事もあったのでしょう。
ただ、私は他者を「クズ」呼ばわりすること自体が好きでは有りません。
とても一方的な印象があるからです。
そして、自分の理解範囲外のことに対して、攻撃的に拒否する思考をその言葉使いに見るからです。
「うさぎもその主治医が嫌な奴だと分かったのか普段はあげなぃような奇声を発し」とあります。自分の家族である「うさぎ」のことだから、自分が一番よくわかっていると言われればそれ迄です。しかし、動物の勘のようなもので、何かただならぬもの(診察という非日常)を感じたから「奇声を発し」たのであって、「その主治医が嫌な奴だと分かった」からというのは主観に偏っていませんか。
「その数字もそのような奴のせいで清さが失われてしまったら嫌」というのは、理屈自体がよくわかりません。誕生年月日と「そのような奴」とのどのような関係があって、どのような「せい」によって「清さ」が失われるという仕組みなのでしょう。
あなたの質問をきいて、ああそうですか、その医者は「クズ」ですねとは私は言いたくありません。よって、私の正直な所感を述べました。