hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

宗教は悪いものですか

回答数回答 2
有り難し有り難し 29

こちらで相談させて頂きながらではありますが、私はカトリックの教会に通っていて毎週ミサに参加しお祈りをしています。いつか洗礼を受けたいとも思っています。
しかし日本では宗教に「怖い」「気持ちが悪い」というイメージを抱いている人が多いように感じ、自分の信仰を後ろめたいもののように感じてしまいます。
親が宗教家だったから子が不幸になったというような話もよく聞くので尚更です。

私はキリスト教の教えを信じたいと思っていますが、仏教はもちろんその他の宗教も、信じるその人の心が救われるのであればそれで良いのではないかと思っています。
宗教が心の拠り所となり言動が善いものとなるきっかけになるのなら、宗教は怖くて悪いものなんかではなく、温かいものではないかと思うのです。

そして私自身は家族をはじめ、誰にも、私の信じる教えを押し付ける気はありません。
別の考え方を否定する気も全くありません。

でも、日常生活の中で、宗教を信じている人間は頭がおかしいというような言葉・記事・投稿を聞いたり見かけたりすると私は悪いことをしているのではないかという気になる時があります。

宗教を信じること、そして宗教そのものは悪いものなのでしょうか。

2021年11月13日 15:10

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗教は「温かいもの」

こんにちは。

「宗教は怖くて悪いものなんかではなく、温かいもの」という一言にあなたの思いが凝縮されています。その通りです。ましてや、「宗教そのもの」が「悪い」ということはないです。

一方、「宗教を信じている人間は頭がおかしいというような言葉・記事・投稿を聞いたり見かけたりする」のは私も同様の感触を持ちます。これには諸要因が考えられます。

ちょうど私が大学生の頃ですが、かのオウム真理教の事件がありました。この時に感じたのは、明確に「宗教そのもの」へのイメージダウンです。今にして思えば、あれは宗教に名を借りたカルト集団、反社会的集団の問題ではあったのですが、当時は仏教を含めて「宗教そのもの」が得体のしれないものという空気が一気に出来上がった感があります。

また、地方を離れて都会に移り住む人が急増し、実家でのお仏壇に触れる機会、日常的な宗教の継承が行われない時期と軌を一にすることで、益々「宗教そのもの」がブラックボックス化しました。

これに加え、映画などの娯楽でオカルト等と宗教をマイナスなイメージを結びつけるような描き方をすることも多々あります。この面で言えば、キリスト教への影響は大きかったのではないでしょうか(例えば、悪魔祓い、魔女狩り、聖職者の犯罪行為などを題材にした作品)。

私はつねづね思うのですが、こういった「宗教」(らしきもの)を描いて商品にしようとする人はショッキングなこと、「悪い」かのように並べたてるのは得意です。しかし、その監督なり、脚本家は「宗教は怖くて悪いものなんかではなく、温かいもの」を描くことは恐らく出来ないでしょう。なぜなら、「宗教そのもの」を知らないからです。「温かいもの」になる訳合や、道筋を聞いたことも、身を置いたこともないからです。ひと度、宗教を「温かいもの」と受け止めた人は、「怖くて悪いもの」として描くことはその良心が許さないに違いありません。

そもそも、「宗教」という一語で一括に出来るほど「宗教」は単純ではありません。世界各地の「宗教」を総括した定義はない、と言われるほどです。

「宗教」を批判する人は、「宗教」という言葉の意味も、言葉の内容も知らないで言っていると考えてちょうどよいと思います。お互いに「心の拠り所」は違えども、「温かいもの」を「温かいもの」として大切にしていきたいものです。

2021年11月13日 16:18
{{count}}
有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
このお坊さんを応援する

信じ拝み敬うもの

拝読させて頂きました。
あなたがそうお感じなさるのも無理からぬことかと思います。社会の中で「カルト集団」による排他的な暴力的な教えや行動によって本当の宗教に関する見方が変わってしまったと私も感じます。

本来ならば宗教とは「信じ拝み敬うもの」とも言えます。

私達がこの世に生きる中で「心から信じること」「心から尊敬するもの」「心から手を合わせるもの」が仮に無かったらどうでしょうか?
その人生は本当に「豊か」であるでしょうか?
「信じること」もできず「尊敬に値するもの」にも出会えず、「大切」だとおもえるものもない生活や毎日や人生は本当に豊かと言えるでしょうか?

何も信じられずに誰の言うことも信じられず、日々常に疑いのまなざしを向けて不安ばかりを抱えながら生きることはどうでしょうか?

あなたの偏見を取り除いてみてどうかゆっくりと見つめてみて下さいね。

あなたが信じるに値するものはこの世に必ずあるはずです。あなたが心から敬おうと尊敬しようと思うものは必ずあるはずです。あなたが本当に大切だと思える教えが必ずあるはずです。

あなたがこれからの未来や毎日を心から信じあい敬い合い、大切な方々と一緒に心から幸せに生き抜いていかれます様切に神仏やあなたのご先祖様方に祈っています。

2021年11月13日 18:04
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

お礼が遅くなり申し訳ございません。
お二方とも、ご回答いただきありがとうございました。
宗教が「怖い」「気持ち悪い」というような言葉を聞く度に自分を否定されているような心持ちでずっと悲しくて苦しかったです。
なので、温かいご回答を頂き本当に救われました。
「宗教(らしきもの)」という表現はまさにその通りですね。教えの意味を本当の意味で理解して批判している人の方が少ないのだと改めて気付かされました。

偏見を持つ人たちに何を言われても、自分が温かいと感じたものを自分自身で疑わず、自分の中で大切にしていきます。

本当にありがとうございました。

「宗教について」問答一覧

伝統と原理主義の境。不幸=神仏の怒り?

 いつもお世話になっております。  私が尊敬する情報科学の先生がXで、 「未だに、天災や気象現象を『神仏の怒り』と考える人は多く いる。しかも議員になれてしまうほど支持率が高い。なんでも かんでも『神仏のせい』にすれば、自力で考えなくて済むから。 だから自分は、宗教の原理主義的なものは嫌いだ」 とおっしゃっていました。  私は、宗教は「生活規範」「安心と励ましを与えてくれるもの」 と捉えています。  昔の人は、不幸な事…災害の発生や疫病の流行が起きると、 「仏様神様がお怒りになっている」 と捉えたと聞きます。  しかし、私は、 「地震だ!身を守れ!備蓄はあるか?火は出ていないか?神仏が見守って くれている。頑張って知恵絞って、みんなで力を合わせて乗り越えよう」 と捉えています。  私は、原理主義…つまりそのまま文字通りに経典等を捉えることは、 思考停止、理解が浅いと思っています。理解の浅さや霊感商法にも 繋がると思っています。  私は、宗教とは、経典を生活規範としつつ、いかに世渡りをして いくかを説いてくれているものだという認識です。  「宗教やってる奴なんて狂人」とネットで言っている人がいました。 私は、昨今のゆがんだ宗教観が原因でそういった認識も広まったと 思っています。霊のせい、神仏のせい、墓があるせい、方角が… お告げが…  お告げに至っては、現代ではメスカリン、アヤワスカの作用や 精神疾患が原因と分かっています。  また、ある工学の先生は、 「自分の感覚では、宗教は『頼る人』と『信じる人』に分かれると 思う。頼る人は、自己分析不足で盲信的、信じる人は客観的な 自己分析ができ、自分の非力さを理解したうえで、足りないところを 宗教の裏付けで上手くバランスをとっている印象がある」 とおっしゃっていました。  私は原理主義者、「頼る人」ではなく、伝統墨守、「信じる人」と いう立場でいたいです。原理主義者にならず、伝統を守りつつ、 世渡りをしていくにはどうしたらよいでしょうか。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2

牧師、神父、イエスキリストが信じられない

仏教のサイトでキリストの話をするのは筋違いだと思いますが、お話しします。 イエスキリストを心の底から信じられないのです。 というか、私は私が所属したい教会がわかりません。 宗教ジプシーで、十数個の宗教を渡り歩いてきました。 でも、どこの神様も心から信じられないのです。というか、どこの教会も心から信じられません。 牧師にもそのことを話しました。 どこの教会が真理かと。 で、聖書を読んでいるかと牧師に問われて、新興宗教の教会に通っていることを打ち明けると、とても馬鹿にされました。 すごく悲しかったし、本気でキレてしまいました。 新興宗教というか、キリスト教の教会にも行かなく成りました。 なんだか、「クリスチャン」が信じられないのです。 もちろん私が知り合ってきた人には、良いクリスチャンもいます。でも、ネットでクリスチャンを自称している人は嫌いです。 ガンジーが「クリスチャンはキリストのように生活してねーじゃん」とツッコミを入れているように、私はクリスチャンが善人ばかりではないことを悟りました。 私はどうしたらいいんでしょう。 もう宗教が嫌になっています。 嫌というか、何かすごい心がモヤモヤします。 どうしたらあの嫌な牧師を赦せるのでしょう。汝の敵を許せと聖書にはあります。 でもどれだけ祈っても聖書を読んでも牧師を赦せないのです。 カウンセラーにも牧師を赦せないことを話しました。 でも、心理学や精神医学を使ってもあの牧師を赦すことができないと私は思ってしまいます。 カウンセラーに助けを求めましたが、正直あまり救われたと思えないのです。 どうすれば人を赦せますか。 お坊さんは、こいつ殺してやりたいと思う奴をどう赦すのですか?そもそも人を殺したいほど憎みますか? また、どうすれば、私は私が納得する教会というか、教えに出会えるでしょうか。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

科学と宗教の棲み分け。仏教は科学否定?

 いつもお世話になっております。  ある日、仲良くなった女子神主さんと話していて、 「科学じゃ説明できないこともたくさんあるのよ」 「お医者さんも信用しきっちゃだめよ」 と言われました。  私はこの神主さんを怪しみ、あえて科学界隈の精神科の先生に、 神主さんからこう言われた、と伝え 「先生、科学で説明できないことって何だと思う?」 と尋ねてみました。  「たくさんあるじゃない。精神の現象なんて最たる例だよ」 と言われました。 「個々人の物事に対する捉え方とか、病気を治したいっていう 気持ちを起こさせたりとかは、科学が干渉できないってこと?」 と聞いたら、その通り、科学はあくまで目に見えるものを探求する 学問だと言われました。同時に、 「みんな、科学に期待しすぎ」 と。  精神科の先生のことは信頼しています。でも、科学のプロが 「科学に期待しすぎ」という考えなのはどうなの?とも思います。  以前こちらで、宗教心、仏教心とは何か、と質問したら、 「当たり前のことを分かるようになり、惑いをなくすこと」 とお答えいただきました。目を開けたら見える、おならは臭い、 というようなことだとご説明いただきました。  しかし、世の中の人は、 「どうしてこうなるの?どうすればいいの?怖い!」 とあらゆる事に惑います。  科学は、 「これはこうだからこうなるんだよ(当たり前の提示)。こうすれば 怖くないよ」 と人々に教えてくれます。  そして、素直にその事象を受け入れ、科学で明らかになった対応策を、 (例えば病気の治療)ありがたく実行させていただく。この謙虚さと やる気を起こさせるのが、宗教心だと思うのです。  こちらのお坊様も、 「仏教では、物事には必ず科学的原因があると説く」 「科学の発展なしに、現代社会はあり得ない」 とおっしゃいます。  時折、「科学が人を貧しくした!」と言っている宗教家を 見かけます。私は、こういう人は危険だと思うのですが。  ちなみに精神科の先生は、「僕を100%信用しないで」と言い、 神主さんも、医者を信じきるなと言いつつ「治らない人は、治そう としない人よ」と言います。  実は、長年の疑問です。私は、仏教は科学を否定する危険な宗教 だと思いたくないです。  

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

宗教について

お付き合いをして3年目、結婚を将来的に考えている20代後半の彼氏がいます。 結婚に向けて話を進めていく中で、 彼氏のお母様が熱心な新興宗教の信者なことが発覚しました。 彼氏は生まれた時から強制加入されているようですが熱心ではなく活動などにも参加していません。幽霊会員のような状態です。 彼氏はお母様の熱心さに嫌気がさして出身地から遠い所で暮らしているので日常生活で相手の親御さんが尋ねてきたり勧誘してきたりはあまりないと思っていますが… 私の父親が宗教関連断固拒否派です。 彼のことはずっと知らせていて近々食事だけでもするという話も出ていました。 私自身は信仰の自由はそれぞれ個人の自由かと思っているので勧誘されても入らないことは頻繁に伝えて固い意思でお断りすれば良いかなと思っていますが… 彼氏のお母様は私の入信を望んでいる様子だそうです。 (彼氏は宗教関連の話を一切私にしないで欲しいとお母様にきつく言ったようですが聞かない様子だそうです) 父親の反応が怖くてその件を言い出せない状態ですが、母親にも相談したところ「考えが甘すぎる」と言われてしまい結婚は愚か食事会すら猛反対されてしまいました。 私の結婚に対する考えは甘いのでしょうか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

なぜ祈る?祈りと願いの違いとは?

 いつもお世話になっております。  最近、気になっています。人は、なぜ祈るのでしょうか?  私は毎日、私がお世話になっている精神科医療スタッフさんが 安全にお勤めできるように、また、ストレスのため体を壊して しまった友人が早く回復しますようにと祈っています。  最後に自分のために祈ったのは、いつだったか。といった ところです。  あるお坊さんが、 「祈りとは誓い。『私は、○○をします。お見守りください』と、 神(仏)だのみではなく、自分が頑張るのを見守ってもらう」 とおっしゃっていました。私は、本来の仏教は神秘主義に傾倒した、 現実逃避の教えではないんだ。と安心しました。  しかし現実は、祈りや寄進が「自己愛の増幅」に繋がってしまって います。 「私はこれだけ○○様にお祈りしてるんだワ!」 「私はこんなに○○寺にご寄進したんだワ!」 と、ナルシストになってしまっているのです。  だから、信者間でのモラルハラスメントや、不倫や性暴力の 横行といった、これが宗教者かと思われる、アリエナイ事態 が各所で乱発しています。彼ら彼女らからは、本来宗教者が 持つべき「謙虚さ」が欠落しているのです。  現に私は、色々なお寺で色々な嫌な事をされています。  まともに祈って努力して頑張っているのは、医学生さんや 法学生さんくらいでしょう。  現に仏教系の大学は、偏差値が低い所ばかり。まあ、偏差値 というのは倍率のような側面もあり、志望者さんが多い学校ほど、 「きりがないから優秀な子から…」と高くなるようですが。  昔、陰謀論は宗教が担っていたそうです。陰謀論にはまる人々は、 「私は真実を知っている」「世界は間違っているが、私たちは正しい」 と驕ります。そして彼らは、科学が嫌いで怠け者です。  仏教では、 「あらゆる事象には科学的な原因があるから、呪いやたたりなど 怖くない」 と説いていると聞きますが、これを理解している人が、どれだけ いるでしょう?  もっと言いたい事はありますが、長くなるのでここまでに します。  私は祈りを捧げるとき、周りへの感謝、そして、頑張ります、 という気持ちを大切にしたいと思っています。そして、祈ったら、 次は現実的なアクション。間違っていますか?

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ