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宗教は悪いものですか

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こちらで相談させて頂きながらではありますが、私はカトリックの教会に通っていて毎週ミサに参加しお祈りをしています。いつか洗礼を受けたいとも思っています。
しかし日本では宗教に「怖い」「気持ちが悪い」というイメージを抱いている人が多いように感じ、自分の信仰を後ろめたいもののように感じてしまいます。
親が宗教家だったから子が不幸になったというような話もよく聞くので尚更です。

私はキリスト教の教えを信じたいと思っていますが、仏教はもちろんその他の宗教も、信じるその人の心が救われるのであればそれで良いのではないかと思っています。
宗教が心の拠り所となり言動が善いものとなるきっかけになるのなら、宗教は怖くて悪いものなんかではなく、温かいものではないかと思うのです。

そして私自身は家族をはじめ、誰にも、私の信じる教えを押し付ける気はありません。
別の考え方を否定する気も全くありません。

でも、日常生活の中で、宗教を信じている人間は頭がおかしいというような言葉・記事・投稿を聞いたり見かけたりすると私は悪いことをしているのではないかという気になる時があります。

宗教を信じること、そして宗教そのものは悪いものなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗教は「温かいもの」

こんにちは。

「宗教は怖くて悪いものなんかではなく、温かいもの」という一言にあなたの思いが凝縮されています。その通りです。ましてや、「宗教そのもの」が「悪い」ということはないです。

一方、「宗教を信じている人間は頭がおかしいというような言葉・記事・投稿を聞いたり見かけたりする」のは私も同様の感触を持ちます。これには諸要因が考えられます。

ちょうど私が大学生の頃ですが、かのオウム真理教の事件がありました。この時に感じたのは、明確に「宗教そのもの」へのイメージダウンです。今にして思えば、あれは宗教に名を借りたカルト集団、反社会的集団の問題ではあったのですが、当時は仏教を含めて「宗教そのもの」が得体のしれないものという空気が一気に出来上がった感があります。

また、地方を離れて都会に移り住む人が急増し、実家でのお仏壇に触れる機会、日常的な宗教の継承が行われない時期と軌を一にすることで、益々「宗教そのもの」がブラックボックス化しました。

これに加え、映画などの娯楽でオカルト等と宗教をマイナスなイメージを結びつけるような描き方をすることも多々あります。この面で言えば、キリスト教への影響は大きかったのではないでしょうか(例えば、悪魔祓い、魔女狩り、聖職者の犯罪行為などを題材にした作品)。

私はつねづね思うのですが、こういった「宗教」(らしきもの)を描いて商品にしようとする人はショッキングなこと、「悪い」かのように並べたてるのは得意です。しかし、その監督なり、脚本家は「宗教は怖くて悪いものなんかではなく、温かいもの」を描くことは恐らく出来ないでしょう。なぜなら、「宗教そのもの」を知らないからです。「温かいもの」になる訳合や、道筋を聞いたことも、身を置いたこともないからです。ひと度、宗教を「温かいもの」と受け止めた人は、「怖くて悪いもの」として描くことはその良心が許さないに違いありません。

そもそも、「宗教」という一語で一括に出来るほど「宗教」は単純ではありません。世界各地の「宗教」を総括した定義はない、と言われるほどです。

「宗教」を批判する人は、「宗教」という言葉の意味も、言葉の内容も知らないで言っていると考えてちょうどよいと思います。お互いに「心の拠り所」は違えども、「温かいもの」を「温かいもの」として大切にしていきたいものです。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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信じ拝み敬うもの

拝読させて頂きました。
あなたがそうお感じなさるのも無理からぬことかと思います。社会の中で「カルト集団」による排他的な暴力的な教えや行動によって本当の宗教に関する見方が変わってしまったと私も感じます。

本来ならば宗教とは「信じ拝み敬うもの」とも言えます。

私達がこの世に生きる中で「心から信じること」「心から尊敬するもの」「心から手を合わせるもの」が仮に無かったらどうでしょうか?
その人生は本当に「豊か」であるでしょうか?
「信じること」もできず「尊敬に値するもの」にも出会えず、「大切」だとおもえるものもない生活や毎日や人生は本当に豊かと言えるでしょうか?

何も信じられずに誰の言うことも信じられず、日々常に疑いのまなざしを向けて不安ばかりを抱えながら生きることはどうでしょうか?

あなたの偏見を取り除いてみてどうかゆっくりと見つめてみて下さいね。

あなたが信じるに値するものはこの世に必ずあるはずです。あなたが心から敬おうと尊敬しようと思うものは必ずあるはずです。あなたが本当に大切だと思える教えが必ずあるはずです。

あなたがこれからの未来や毎日を心から信じあい敬い合い、大切な方々と一緒に心から幸せに生き抜いていかれます様切に神仏やあなたのご先祖様方に祈っています。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

お礼が遅くなり申し訳ございません。
お二方とも、ご回答いただきありがとうございました。
宗教が「怖い」「気持ち悪い」というような言葉を聞く度に自分を否定されているような心持ちでずっと悲しくて苦しかったです。
なので、温かいご回答を頂き本当に救われました。
「宗教(らしきもの)」という表現はまさにその通りですね。教えの意味を本当の意味で理解して批判している人の方が少ないのだと改めて気付かされました。

偏見を持つ人たちに何を言われても、自分が温かいと感じたものを自分自身で疑わず、自分の中で大切にしていきます。

本当にありがとうございました。

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