自分と違う意見を聞くと自分を責めてしまう
いつもお世話になっております。私は浄土宗檀信徒です。
時折SNSでも実生活でも、
「宗教信じてる奴は頭おかしい」
という話を聞きます。「無神論者」と言われる方なのでしょうが、
とても傷つき、私はおかしいのかな…と自分を責めてしまいます。
私が尊敬する科学の先生も過去のツイートに、
「ニセ科学を信じる人は、UFOや神の存在を心から信じていて、
否定されると、否定した人を迫害する」
とおっしゃっています。私は、こちらの先生の影響で理学を
学び始め、また、こちらのお坊様方も医科学の大切さを説いて
下さる方が大半なので、理学を学ぶことも修行と捉え安心して
勉強していました。
10年近く前のご投稿、また、こちらの先生のグループの
お仲間にイスラム教聖職者の方や、定期的に神社に行かれて
いる方もいらっしゃるので、完全なヘイト主義者ではないと思うの
ですが…
後のご投稿で先生は、
「『宗教そのものは悪くない』が、宗教を悪用する人が多すぎる
ので、基本的に悪いと思って、対処法を考えておくといい」
とおっしゃっています。
また、先日拝読した先生のお仲間様の記事に、
「『あなたは生まれながらにして罪深いから悔い改めよ』
と言って罪悪感を煽るのは、カルトのやること」
と書いてありました。仏教では「懴悔偈」が「悔い改めよ」に
当たると思います。懴悔偈って罪悪感煽るの?
しかし、こちらのお坊様方は、
「本物の(カルトではない)宗教(仏教含む)は、恐怖や不安を
煽ったり、医科学を否定したりしない。安心を与える」
とおっしゃっています。
私は機能不全家庭の中で育ち、仏教と出会い、その影響で
「家や学校がすべてじゃない」と気づき、明るく生きてくる
ことができています。それにより、他の精神障害者からは
「甘ちゃんだ」といじめられましたが。
「宗教信じてる奴は悪い奴」と社会から言われている気が
して苦しいです。信仰をネタにいじめられたこともあります。
「無神論者さんなんだな」と割り切れません。
苦しいです。
自分と違う意見を聞いて苦しくなるのは、「自分が正しくて
お前は間違っている」という頑固者の証かもしれませんが…
自分と違う意見も聴くのは大切な事と分かっているのですが、
難しいです。
また、実際宗教が起因した事件もあるため、信仰に
引け目を感じてしまいます。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いろんな角度で物事を見る目を。自分自身が大事にしたらいいのよ
周りの言葉に、強く影響を受け過ぎないことですよ。
宗教に限らず、いくら素晴らしいものでも、扱い方によっては怖いものに変わってしまうものです。乗り物も便利な一方でルールや操作を誤ると命に関わる事故になる。宗教も、真実の教えを知らなければ、幸せにはなれない。説く人が解釈を誤れば、それに影響を受ける人は、間違った方へ引っ張られてしまう。誤りを「正しい」と取り違えてしまうと、その正しいこと以外は、聞く耳を持てなくなってしまう危うさも、人間にはありますね。
だからこそ、いろんな角度で物事を見る目を持つことですよ。影響を受けるなら、満遍なく、いろんな人の話を聞くことです。聞く耳を持てなくなったら、成長は難しいと思います。
自分と違う意見があって、当たり前。だって生きてきた経験も、見てきた世界も違うのだから。そこを、違う!と反発するよりも、なぜそう言うのだろう〜どんな捉え方をしているのだろうかと、関心を持てたら、その人のことを真っ直ぐに見れるようになるかもしれませんね。
その上で、誰がなんと言おうとも、自分が大切なものを私自身が大事にすればいいのですよ。
私も信仰を大切にしています。本当に宗教をわかっている人なら、信仰を大切にしている人なら、宗教が怖いという表現はしないでしょう。自分がちゃんとわかっているのなら、それでいいのではないかしら。自分自身の信仰なのだから。
質問者からのお礼
【中田 三恵 先生】
お返事いただき、ありがとうございます。お礼が遅く、
申し訳ございません。
自分と違う意見があって当たり前。それが人間界
なんですよね。相手の意見を否定することは、
相手の人生を否定すること。
相手は人生の中で様々な経験をし、その考えに
至ったのですから。
多角的な見方…私は、自分が信仰している仏教に対し、
常に
「間違ったほうに行っていないかな」
「宗教を口実に怠惰・粗暴になっていないかな」
「のめりこんでいないかな」
と自分自身を警戒しています。
宗教に対する皆様の見方に関しては、実際にお話を
聴かせていただくのが一番なのでしょうが、
研究機関などのホームページを見て、
「宗教やテロが起因したテロのニュースもあるから、
誤解が広がっているんだな」
と考えています。
本来の宗教(仏教)は、人の幸せを願って行動、
自己の向上・安定のための謙虚さを忘れないたゆまぬ
努力・超常現象に否定的で、冷静に科学的手法で
災難の原因を解明・除去をすることを説いていると
考えます。
祈りと努力は、セットでなければならない。
仏は、努力の象徴。と認識しています。
しかし、「何らかの原因」で、宗教に対する
誤解が広まってしまったのでしょう。
ちなみに私も、宗教に関して「解釈を間違った人」を
たくさん見てきました。本山の説教聴きに行ったとき、
「念仏しない奴は救われない」とか言ってた人たちが
多かったのは、本当に怖かった。