生きるってこんなにも難しいのですか?
生きるって難しいのですか?
20歳までは子供ですから親の庇護の元生きてこれましたが、大人になると自分の足で歩んでいかねばなりません。
そして、ただ単に歩むことはできますが、様々なことを考えて生きていかねばならないことに恐怖を抱きました。
いつ切られるか分からない雇用、スキルアップ、各種税金、保険、貯金、投資、老後の2000万問題などお金や生活に関する問題が山積みで、本当に私は生きていけるのでしょうか?
もう、生きてこれた両親や社会人の皆さんがはるか遠くに見えます。
そしてもはや考えすぎて国に殺されるんじゃないかとすら思えてきましたし、将来は生活保護か刑務所に行きたいって思っているくらいです。
もっと気持ちを楽にして生きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「生きるってこんなにも難しい」二つの理由
こんにちは。
「生きるってこんなにも難しい」のか、というご質問です。
これには、二つの応え方が出来ると思います。
「生きる」ことはそもそも「難しい」。
「生きる」ことを「難し」くしているのは、そもそも自分である。
この二つの方向性です。
あなたの過去の質問も拝見しました。
ご両親に胸の内が幼少期から話せない、進路選択に当たって失敗したらどうしようという思いが強い、そういう趣旨のご質問でした。
「いつ切られるか分からない雇用、スキルアップ、各種税金、保険、貯金、投資、老後の2000万問題」、これは「生きる」ことはそもそも「難しい」という内容です。どうやって衣食住を確保していくかという問題は、いつの時代も簡単なことではありません。
ただ、このような問題は先を見すぎないのが大切です。
千里の道も一歩からです。
千里先を見ると気が遠くなりますが、今出来るのは一歩しかありません。二歩でも、三歩でもなく、一歩しか出来ません。その一歩という単純な一つを丁寧に踏みしめる。
あなたは、「ただ単に歩むことはできますが、様々なことを考えて生きていかねばならないことに恐怖」と書いています。まずは冷静になりましょう。一歩を漫然と踏んでいませんか。今日できること、今できることを確実にすることは、千里の道を確実にすることだとハッキリ意識することが大切です。
「生きる」ことを大上段に千里の道と考えたら「難しい」です。
しかし、「生きる」ことを=一歩と考えればさほど「難し」くはないはずです。
自分で「生きる」を難しくしていないだろうか、ここをチェックしてみてください。
また、一人で歩むと心細いものです。
道を同じく歩んでくれているご両親、家族、友人を頼ってともに歩むことも大切です。どう思われるか、という恐れを第一に考えるのではなく、思い切って自分をさらけ出し、心を通じ合わせられる人が一人でもいれば「生きる」ことの難易度は大分に下がります。この意味でも自分が自分の殻に閉じこもることで「生きる」を「難し」くしていないか、ここも考えてみてください。