これは同罪ですか?
私は過去に妻子ある人と、お付き合いをしていました。不倫です。
そして私も彼氏がいました。彼氏には隠して、お付き合いをしていました。
また、その妻子ある男性は覚醒剤常習、刺青があるような方で、収入は闇金融で法外な利息収入、車は確か盗難車だったような気がします。
写経をしながら過去を振り返り、いろいろ気付きが見えてきました。不倫に関してはお相手の奥様にバレてしまい、私は奥様を泣かせてしまいました。思い出して反省して、ものすごく苦しくなりました。涙ながら反省する事もあります。
また、深く深く振り返り、闇金融の法外な利息で得た収入で私達は遊んでいた事、そして盗難車に乗り遊んでいた事に気付き、これは罪である事に今更ながら気付きました。確かに私が得た収入ではない、盗難車も私の所有ではありません。
が、写経していくうちに、これはもしかして私は同罪にあたるのではないかと思うようになりました。
私からすれば当時は闇金融、盗難車という話を聞いても「ふーん、そうなんだ。」くらいの認識でしたが、よくよく背景を考えると収入源や車は、私は知らない人が働いて得た収入で遊び、私は不倫相手が所有していた知らない人から盗んだ車に乗り、というような状態でした。
普通の方であれば信じられない話でしょう。親であれば闇金融?盗難車?その人、大丈夫?となるでしょう。
しかし思考が曲がってしまったあの頃の自分には気付きません。
これは私は同罪にあたりますか?
また私は地獄に値する罪だと思い、気付いたら、ひたすら謝罪しながら写経をしている自分がいました。
こうして書いているだけで苦しくなります。私は、とんでもない事をしたと思います。ごめんなさい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「地獄に値する罪」を犯そうとも
こんにちは。
前回のご質問も拝見しました。
「これは虐待でしょうか」という題でした。
第三者の私から見て、明らかな精神的・身体的な「虐待」でした。それでも、あなたは「これは虐待」だったのか、という確信が持てないから尋ねたのでしょう。
そして、今回は「闇金融の法外な利息で得た収入で」「遊んでいた事」、「盗難車に乗り遊んでいた」ことが、当事者である元不倫相手と「同罪ですか」と尋ねている。
まず「盗難車」ですが、被害を受けた立場だったらどう感じるでしょう。大切な所有物を勝手に乗り回される。その加害者も憎ければ、助手席に座っている人も「同罪」だと感じるのではありませんか。
「闇金融」は、その存在自体が「法外」という意味で「闇」です。「闇金融」に手を出してしまうやむを得ない事情があるのかも知れませんが、所謂トイチで借金が膨らみ路頭に迷った人から見れば、貸した人間のことをどう思うか。それを生業としている当人も憎ければ、そのお金で飲食をしている同席の人も同類だと思うと思います。
では、仏様から見ればあなたはどう見えるか。
きっと善悪の区別もつかずに、自己中心の煩悩そのままに不倫相手の配偶者を傷つけ、人を泣かすことに鈍感で、自分が楽しむことを最優先に考える愚かな者として映るでしょう。あなたは、被害者から見れば加害者同様の「同罪」の振る舞いをし、仏様からは悲しまれた存在であった。これは疑いようのない事実です。
しかし、「思考が曲がってしまったあの頃の自分」と気づけた。
愚かな姿のまま人生を終える、その結末を回避できたのです。
それは、何故ですか。
「写経をしながら過去を振り返り、いろいろ気付き」を得たからでしょう。
仏様があなたを見放さなかったからです。
自分で気づいたのではなく、気が付かせてもらった、のです。
善悪を人間は知っているようで知らないものです。
仏様から見ればお悲しみでない日はありません。
しかし、「地獄に値する罪」を犯そうとも、救わずにおれないのが仏様のお慈悲です。
あなたは自分の罪に気が付かせてもらえたのです。
今度はその自分がどのように救われるのかを、聞いて、聞いて、聞きぬいていってください。
西本願寺法話配信サイト
https://broadcast.hongwanji.or.jp/html/radio.html
写経と共に思いを届けましょう
拝読させて頂きました。
あなたがご自分のなさったことを罪であると思われて思い悩んでおられることと思います。
あなたがなさったことについて私個人的にはやはり罪だとは思います、ただその方と同罪かどうかはわかりません。その方がなさっていたことは罪だと思います。そのかたのなさったことは法律的に裁かれるような罪だとは思います。ただあなたの罪は法律的には裁かれないのではないかと思います。
写経なさる中であなたはご自分がなさったことにお向き合いなさり、そのことを心から反省なさっておられるのでしょう、そしてご自分のなさったことを心から後悔なさっているのでしょうね。
どうか写経なさる中でも或いはそうでない時もあなたが思ったことなさったことを心から振り返りあなたがなさったことによって傷ついた方々を思って下さい。そしてあなたがなさったことを心から反省なさって下さい、神仏やご先祖様方に心から全て告白なさり懺悔なさって下さいね。
そしてあなたがなさったことで傷つけられた方々や被害にあわれた方々に心の中でも誠心誠意謝りましょう。できる限り謝りましょう。
そして二度と同じようなあやまちや罪を犯さないようにと心から神仏やご先祖様方にお誓いなさって下さい、あなた自身にもお誓いなさって下さいね。
あなたの思いや懺悔やお誓いを神仏やご先祖様方は全て受けとめて下さいます。あなたを受け入れて下さいます。あなたを優しく善き方へとお導きなさって下さいます。
あなたはこれからも神仏やご先祖様方に見守られて導かれて生きていくのです。これからも我が身のことで沢山の気づきを与えられることでしょう。
あなたがなさったことをしっかりと受け止めてその上でこれからのあなたの未来に向き合って下さい、しっかりと生きて下さい。
あなたがこれからの未来を神仏やご先祖様方にいつも見守られながら善い方へと善き生き方をなさりながら、本当に大切な方々とのご縁に恵まれながらお健やかに幸せに生き抜かれていきます様切に神仏やご先祖様方に祈っております。
どうか写経もご精進なさって下さいね。写経されたお経の用紙は合間にお寺様にご奉納なさって下さいね。あなたの思いは必ず仏様やご先祖様方に写経と共に届くでしょうからね。至心合掌
質問者からのお礼
釋 悠水様
お答えくださり、ありがとうございます。
また、前回の質問にも、お答えくださり、ありがとうございます。
虐待についても悩みました。私は虐待で育ってきた認識がなかったのです。
しかし写経していくと、たくさんの自分の本当の姿、あるいはたくさんの自分が犯してきた罪などが見えてくるのです。
写経しながら「本当は痛かった」「本当は怖かった」「本当は」「本当は」という今まで蓋をしてきた感情が出てくるようになり、次第に自分の犯してきた罪が出てくるようになりました。
ここのところ、毎日毎日続けていますが、最近は何に気付くのだろうという認識に変わっていきました。
自分の罪に関しては、かなり苦しくなります。やはり同罪。重く受け止めています。ひたすら「ごめんなさい」と繰り返しています。
【仏様があなたを見放さなかったからです。
自分で気づいたのではなく、気が付かせてもらった、のです。】
釋 悠水様の、この言葉に目に涙が。。。
私は仏様を、よく知りませんでした。写経を、はじめたのも実は、きっかけがありました。
もっと早く写経と出会いたかったと思います。写経の終わりには感謝をして終了してますが、今は自分の気付きで精一杯の写経になってしまっています。いつの日か心から、仏様への感謝の気持ちいっぱいにして写経で届けたいと思っています。
被害者からの私への目線、仏様から見た私への目線、ありがとうございます。
この年になり、二度と過ちは犯さないとは思っていましたが、写経で見えてくる当時の事実に私は、これからも反省をしていきます。
温かいお言葉に感謝致します。
Kousyo Kuuyo Azuma様
お答えくださり、ありがとうございます。
やはりこれは罪になりますよね。重く受け止めています。
写経終えて、いろいろ気付かせて頂く事実に、心の中で、ひたすら「ごめんなさい」「どうか今は更正されてますように」「どうか幸せでありますように」と願っています。
【あなたの思いや懺悔やお誓いを神仏やご先祖様方は全て受けとめて下さいます。あなたを受け入れて下さいます。あなたを優しく善き方へとお導きなさって下さいます。】
Kousyo Kuuyo Azuma様のこの言葉に涙が出ます。
私は他にも罪を犯しました。
過去の事実に向き合い、反省を続けて、しっかり生きていきます。
【生きる】
実は死にたくなるような出来事がありました。私の人生を考えてしまうような出来事でした。なので、Kousyo Kuuyo Azuma様の【しっかりと生きてください。】という言葉に驚きと、私の気持ちに気付いて頂けた事と、感謝の気持ちが入り交じった気持ちになりました。
温かいお言葉に感謝致します。
お二方様。
今回、私が投稿した質問は正直、削除しようかと悩みました。反省しても反省しても、苦しみが取れないでいました。もしかしたら、お答えが返ってこないかもしれないとさえ思っていました。私は過去、他にも罪を犯しました。
写経を何枚書いても反省が、まだまだ足りないとさえ感じます。
さらに自分を見つめて精進していきたいと思います。
お二方様の温かいお言葉もあり、こちらの投稿は削除しない事にしました。本当にありがとうございました。