「身勝手な」という言葉について
こんにちは。ご縁あって再び質問をさせて頂きます。まだ自分の中でまとまり切れていないこともあり、漠然とした質問になりますが、ご容赦ください。
ここ最近、殺傷事件の報道記事を見る機会が多くありました。中でも京王線の事件は幾つか模倣犯とおぼしき犯行を生んで話題になりましたね。報道も過熱しました。事件後数日間はテレビや新聞、インターネットが事件の話題で埋まり、犯人像の炙り出しに躍起になっていました。そうして私たちに伝えられた犯行動機は「死刑になりたかった」、「自殺する勇気がなかった」など。私は度々、それらの言葉の前後に「犯人の身勝手な云々」という言葉が添えられていたことを覚えております。
私はこの「身勝手な」という言葉に少し疑問を抱いております。確かに彼らの犯行理由は自分を中心に据えたものであり、被害に遭われた方にとってみればたまったものではないでしょう。しかしながら、私はこの言葉が彼らを冷たく突き放しているような気がしてならないのです。それこそ、一時期話題になった「死ぬなら一人で死んでくれ」に近い冷酷さを私は感じました。
身勝手な感想で申し訳ありません。ただ、彼らとて本意からこのような事件を起こしたとは思えなかったのです。いかなる理由であれ、自分の人生に絶望し自暴自棄になった結果として行動に走ったのだと。
可哀想だから無罪放免にしろ、などとは申しませんが、犯罪の極力無い社会を作り上げていく上で私は犯人の動機とそれに至った理由の解明は欠かせないと考えております。報道記事における「身勝手な」という(あえて申し上げますが)余計な言葉は、彼らが我々には理解できない領域にいるものだと追いやってしまうようで、少し気味が悪くなってしまいました。
自分本位な感想であることはわかっております。お坊様方はこの言葉についてどうお考えでしょうか、また、私の抱いた感想はこのまま持っていていいものなのでしょうか。皆様のお言葉を聞かせていただければ幸いでございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「仏心是大慈悲」「平等利益」
拝読させて頂きました。
あなたのお考えはとても正しいと思います。仏様の目先や慈悲のお心からすればそのような罪を犯した方にも救いの心を差し伸べるでしょうし、きっと寄り添われると思います。
犯した罪は確かに大罪であるとは思いますが、あなたも思っておられるでしょうがその方々がそう思うそしてそうしてしまわざるを得ない状況に追い込んでいってしまった世の中の人々つまり私達にもその原因があるでしょう。
私達も誰しもがその様な悪縁がつながり悪意が沸き起こってくればいつでも同じような罪を犯してしまうことでしょう。
人が人を差別して分断してけおとしていって見捨てていく様なこの世の風潮や私達生きるものの心情がそうさせていってしまっていると思います。
映画の「ジョーカー」がありますが、単なるバットマンの悪役ではなく彼がどの様な心情となり悪を行っていくかがえがかれています。
優しい心根の彼が大切な母親を守りながら一生懸命ピエロとして働きますが、世間はそんな彼を突き放していきます、孤独へと追い込んでいきます。先日の事件の容疑者の彼はジョーカーの姿をしていたそうです。全てが同じではないでしょうが恐らく相通じることがあったのかと思います。
被害を受けた方々もとても怖かったと思いますし、そのトラウマで苦しむこともあるかと思います。本当にお辛いかとは思います。
そしてその罪を犯すところまで追い込まれてしまった彼の心を見つめていくことそして救い寄り添っていくことは私達は我が身のことと同じようにしていかねばならないことでしょう。
私達は仏様ではありませんけれども全てのものを平等に救い寄り添って下さるその様な仏様の心を私達自身が身をもって学び実践していくことが大事だと思います。
恐らく日本でも世界でも同じような事件はまだ発生するでしょう、その原因となる差別や偏見や排他性を無くしていく努力をしていきたいと思います。
仏教の教えは「仏心是大慈悲」「平等利益」ですからね。
どうかこれからも共に精進していきましょう。至心合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。有り難く拝見させて頂きました。