お坊さんに是非教えてもらいたい。
お坊さん方こんにちは。先日ネットで見たのですが、困難の多い人は前世で大きな罪をやらかして今世で罪を償っている。
または魂のレベルを上げる為にあえて神様、仏様が困難の多い人生にしてる。
この2つパターンがあると見たんですが、
お坊さん的にはどう思いますか?
私は過去の質問の通り軽度知的障害、鬱、離婚など
とてもストレスが溜まりってメンタルが病み、生きるのに苦しいです。たまに消えて無くなりたい…もう生きるのが辛い…と考える時もありますが、私は死後の世界を信じてますし自殺したら極楽に行けないと思ってるので自殺はしないようにしてます。
後は単純に私が自殺する事によって親兄弟等を悲しませたくないからです。
話は戻るのですが、私は前世でなにか罪を犯したのでしょうか…?
それとも神様、仏様が魂のレベルを上げる為に困難の多い人生にしてるのでしょうか…?
回答よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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第二の矢
ぱーやさま
基本的に輪廻にある限り、大なり小なりで迷苦にあることは、ほとんど皆、そんな変わりはありません。世間の基準によってあれこれと比較して大きく見えてしまうような誤差も実はほんの微々たるものです。
もちろん、業の状況はそれぞれにおいて異なります。
ですから、それぞれに受ける業の結果となる迷苦も異なってきますが、天にあろうが、地獄にあろうが、やはりそれなりに苦しむことには何ら変わらないのであります。
問題は、この輪廻のどこにも逃げ道は無いということを理解して、この輪廻から逃れるための道である仏道へと歩みを進めていくことであります。
その仏道への歩みを進めていく中であれば、一の矢は受けても、二の矢は受けないようにすることができていくことになります。
釈尊は、「聖者であっても、凡夫であっても、第一の矢を受けるのは変わらないが、聖者は第二の矢は受けない」とおっしゃられました。
業の結果を受けるのは、聖者、たとえある程度修行を積んでいる菩薩であっても受けることになります。
しかし、その受けた業の結果の苦しみに対しての対処法を、聖者、菩薩はよく知って理解しているため、その業の結果から次々に派生してくるさらなる苦しみは生じず、第一の矢による苦しみだけですぐに止めることができるということであります。
まだまだ輪廻に留まってしまうのはやむを得ないことですが、第二の矢を受けないように、仏道を少しずつでも進めて参りたいものでございます。
合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。頑張って自分なりの仏道を歩んで行きます。