眼瞼下垂手術後の目を受け入れられない
20代後半の男性です。昨年に眼瞼下垂手術を受けたことを後悔しています。
きっかけは、知人に「開きの悪い目は治療として直せる」と指摘されたことでした。普段の私であれば、年齢的に早いかなと興味を示さなかったのですが、機能的にも整容的にもよくなるからと背中を押されたこと、また新天地+コロナ禍で人付き合いが減っていたことからそういった手術を受けることに抵抗が強くない人たちに影響され、何件か眼科や形成外科を回りました。
そのうちの一軒、非常に評判の良い病院で眼瞼下垂症の診断がおり、保険診療で手術を受けました。その結果、厚ぼったい一重瞼だった目元は脂肪を大きく除去されて全く別人の奥二重になり、顔貌が全くの別人になりました。
治療だから見た目を大きくは変えないだろうと軽くみていました。事前のアナウンスは、保険診療なのでデザインはお任せ、ただ二重幅は狭くするというものだけで、二重幅が広くなければ大きく顔貌は変わらないだろうと思い込んでいました。また、「どのような目になりたい」などと言い出したら治療でなくなる気がして、あえて仕上がりについて尋ねないことで「これは治療なんだ!」と自分を納得させていた側面もありました。
元々、自分の瞼にコンプレックスを抱えていたわけではありません。ただ、片目の開きがやや悪くなっているのは感じていたので、小さな見た目の変化で「病気の治療」として開きをよくできるのであれば、手術してもいいと思いました。しかし、病院側の説明で両目同時手術の方が左右差が出なくてよいと言われ、下垂を気にしていないほうの目も手術を受けてしまいました。
もっと時間をかけてよく調べれば、目元の雰囲気を大きく変えなくてよい術法を知ることもできたのに、評判の良い病院で手術を受けられるということで「ここしかない!」と思い込み、受けてしまいました。
今、自分の新しい目元が受け入れられません。治療のためとはいえ、大きく変貌した目元を見るとまるで美容整形を受けてしまったような気がします。個人的には美容整形的なものは望んでいなかったし、周りからそのように見られるのも本当に嫌です。
仕事も手につかず、完全に引きこもっています。正直、この目とともに生きる人生を受け入れられず、死んでしまいたいと思っています。この気持ち、どのように整理を付けたらいいのか、お知恵をお貸しいただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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見た目が変わっても、あなたはあなたです。中身は変わらない。
それはお辛いですね。
リスクもあった。納得のいくまで説明を受け、きちんと確認するべきだったと、後悔も おありでしょうね。
自分でありながら、自分ではなくなってしまったような、違和感と喪失感でいっぱいなのだろうと思うと、この気持ちをどこにもっていったらいいのやら、大変苦しいことだろうと思います。
今は気休めに聞こえるかもしれませんが、あなたの見た目が変わったとしても、あなたはあなたです。中身は変わらない。あなたをちゃんと見てくれる人もいるでしょう。あなたの中身と付き合ってくれる人もいるでしょう。向き合って生きていくことは、表面ばかりではないはずです。
どうか、自分を大切に。
質問者からのお礼
中田様
ご回答ありがとうございます。
まだ現実を受け止めきれず、気持ちは落ち着いておりません。
それでも、お答えいただいたような中身で付き合ってもらえる人たちを見つけて、いつか社会復帰できる日が来ることを願っています(自分のことなのにこのような言いまわしは変ですが...)。